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"働く"の境界線は自分で消す

株式会社コードベリーの牧野です。

弊社代表が書いていて、ふと思うことがあったので書きます。
働くということについて。

はじめに

僕は就職する前、出来るだけ楽しく働きたいと思っていました。
特になりたい職業はなかったけど、そこは漠然と思ってた。

・仕事は人生の多くの時間を費やすもの
・大部分が楽しくなれば人生も楽しい
・仕事はお金を稼ぐ手段だから
楽しいほうが稼げる

当時具体的にここまで考えてたかは不明ですが、今言語化するとこんな感じのことをバカ丸出しで思っていました。
一言でいうと、「趣味みたいに働きたい」だったのかなと思います。


社会人としての"労働"

社会人になると、会社員にある理不尽を我慢しながら"働く"ことが多く、次第に会社で働くって楽しいものでないかもって感じるようになりました。
当たり前ですけど、自分に制御できないかつ誰のための仕事か分からない仕事がたくさん降ってきますよね。若くて何も知らないから余計分からない。
性格的に我慢しないタイプでもあるので、より強く感じたかもしれません。

新卒入社でお世話になったその会社をちょうど3年で辞めて、いろいろ経て、現在は会社運営する側として楽しく過ごしております

これまでの過程で気づいたことを以降に書きます。


なおシステムエンジニアという、先進的で裁量がある仕事に就けたことは大きな幸運でした。
また、いまの立場をくれた弊社代表だったり、これまで関わってくださった方々のお陰なんですが、ずっと「趣味みたいに働きたい」を諦めなかった自分を少しだけ褒めてあげたいですね。

"働く"とそれ以外の境界線ってなんだろう

これまでずっと潜在的に、フリーランスになってここ数年は自覚して「仕事=趣味」を目指して仕事してきました。
そして、楽しいかそうでないか、それだけだと最近思うようになりました。

趣味ってちょっとした興味があって始めます。でどんどん気になって深堀りしてってまた楽しくなって、そうやってハマっていきます。
そういう枠の中で仕事をすれば働くとそれ以外の境界線なんてあっという間になくなる、そう考えるようになりました。

そのためには、

主導権や裁量が自分にある
仲間がいる

そんなことが大事なのかなと思います。
興味は大事なのですが、やりはじめて興味が湧くこともあります。
僕の場合はなりたい職業がなかったので、あれやこれやして今やりたいことができている、という感じです。早くから楽しいことや興味が見つからなくても、方針を決めて目指し続けると気づけばそこにいる例なんじゃないかなと。
少なくともここに一人いるので、信じてもらえるとうれしいですね。

そうこうしているうちに、時間に対する考え方も変わってきました。

なにをしていても、なにもしなくても不可逆な、替えの利かない、唯一の自分の時間を使ってる

当たり前のことなのですが、何に時間を使うかフラットになるので時間に対する考え方がシンプルになったように思います。
働くとそれ以外がより密に結合したイメージです。

いまでは「仕事=趣味」にかなり近づけた気がしています。

これは自分の努力だけではどうにもならないことも多くて、自分は少し運がよくて、それどころではない大変な困難に直面している人がたくさんいることも自分なりには心に留めているつもりです。

そのため、これまでの人生に感謝してもしきれないところではあります。

まとめ

結局、自分次第ということなのかな。
人間は脳みそが見えてるもの考えてるものすべてをコントロールしています。極論ですが、僕の目の前のあなたは存在しないかも。

そう考えると、自分で引いた境界線を消したりまた引いたりすることであっという間に世界が変わるんじゃないかなと思ったりします。

本日は全国の多くの場所で成人式ですね。
仕事が嫌だなって思ってる若い人には、自分次第だぜーって伝えたいですね。
それから、困難に直面している人の役に少しでも立てばと願っています。

おわり



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