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生きていたいなーとは思うけど。

おすおす、Yasumaです。

今回は少しだけ僕のおばあちゃんの話をしようと思います。

沖縄のおばあちゃん

僕の母親は沖縄出身で、その子供である僕は愛知県にいながらも毎年夏になると沖縄へ帰っていた。

期間は大体夏休みの約1ヵ月間、たまーに駄々をこねて9月初めまで滞在したこともある。

僕は沖縄が大好きで、じぃちゃんも、ばぁちゃんも、母さんの兄弟もみんな大好きだった。

愛知に帰ってくる時には大抵飛行機のなかでギャン泣きするのがお決まり。

当時はまだ小学生だったから、見境なく泣き叫んでいた。

大人になった今でも沖縄からこっちに帰ってくるときは泣きたくなる。寂しがりなんだな、きっと。

こんなに楽しいんだから、みんなで一緒にいればいいのに。なぜわざわざ愛知に帰る必要が!と幾度となく考えた。

いつかの愛知に帰るタイミングで母が「じゃぁ、もう宜野座の学校行くわけ?」と聞いてきた時は本気で沖縄に住めるもんだと必死で「うん!行く」と言ったものだ。

※母は僕を帰らせようと苦し紛れに言っただけでその気はサラサラない

結局は愛知に帰ってきているわけだけど、大人になった今でもいつかは沖縄に住みたいと考えている。

もちろん、愛知も好きだし友達もいる。だけど何処か愛知と沖縄では価値観が異なる気がして、僕はどちらかと言うと沖縄の価値観のほうが肌に馴染む。

初孫で可愛がられてきたせいか、沖縄に帰る度に「あげっ?いつこっちに住むわけー?」と言ってもらえるからだろうか、僕は沖縄に住みたいし、働きたい。

こんなことを続けているうちに沖縄のばぁちゃんにもいつかは会えなくなる時が、人が誰でも迎える時がきてしまう来てしまうのだろうか。

そんな気持ちを押し殺すように、僕は朝の散歩中にばぁちゃんに言う。

「ばぁちゃんは、まだまだ長生きするさーな」

ばぁちゃんは言った。迷いなく、当たり前のように。

「生きていたいなーとは思うけど、死ぬさ。人は。いつか。」

端的に、単語を並べただけのその真実。それ以外に何があると言いたげな"当たり前"

ぐっと。僕の胸元を掴むように、その言葉は僕の胸の奥底にあった甘えた部分に響く。海底に眠る、目を背けたくなるような生命の理が土煙をまきながら僕の目の前に立ち上がった。

世界を覆ったウイルスのせいで、暫くばぁちゃんに会えていない。

今年、少しだけ収束の兆しが見えてきた。

行かなきゃ、会えるうちに。

命の大切さを感じさせてくれた、あの言葉を放ったばぁちゃんに。

会いに行こう。





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