とあるゲイの思春期 - [2] 本
僕の世代は高校生に入ると携帯電話を持つ子が多かった。
スマートフォンなんてものはなく、携帯電話は今で言うガラケーで、僕が持ち始めた頃はまだ、画面がモノクロだった。
アルバイトを始め、自分で料金を払いながら、父親に承諾を得て携帯電話を持つ事になった。
昔はネット回線を家に引いているところはさほど多くなかった。
今覚えば大した情報量でない携帯電話向けのページしか見ていないのに、閲覧し過ぎるとウン万円という金額を請求される…そんな事も決して珍しくなかった。
我々高校生はパケット通信料の金額がとんでもない金額になる事を“パケ死”と呼んだ。
そんな時代だった。
皆が持っている携帯電話を自分も持って、人並みにみっともなくない程度にお洒落をしたい。
そんな欲求を埋め合わせるために、チラシ配りやガソリンスタンドなど様々なバイトをした。
父もそんな僕の行動を知ってか知らずか、夏休みを控えたある日、僕に電話でこう話した。
「甲子園球場の近くに俺の女友達が住んでるねん。お前、そこで夏の間過ごしたらどうや?」
僕は、見知らぬ父の女友達の家で過ごす理由が特に見当たらず、確か一旦断ったように思う。
しかし父は、強引に僕をその女友達の家で過ごさせた。
その頃僕は、悩んでいた。
だからだろう。
ある日図書館に行った。
小学生の頃、母の気が狂った原因が何だったのか気になったからだ。
最寄りのそこそこ大きい図書館の3階には、ずらりと専門書が並び、その分厚い本の中から何冊か医学書を手に取り、じっくりと調べた。
今ならGoogleで簡単に検索できる事もこの時代は手間と時間を要する。
母の病名は恐らくこの“精神分裂病”だろうと推察された。
そこには、この病気になりやすい体質は遺伝する…というような事が書いてあった。
「僕も母の様に正気を失い、何が事実で何が妄想なのか分からなくなる可能性がる。」
「そうなるのであれば、いっその事死んだ方がマシだ。」
そう感じた。
いつ書かれたのか分からない古い精神医学書には他にもこんな事が書いてあった。
それは同性愛についてだ。
自分が同性愛者かもしれない事はとっくの昔に感じていた。
女子に全く恋愛感情を抱かない。
かっこいいと思う男子ばかり目で追ってしまう。
そんな自分を僕はごまかし続け、知ってはいるけども知らないふりを高校生になるまで続けていたように思う。
その本には
“同性愛は性的倒錯であり、治療が極めて困難である。”
そんなような事が書かれていた。
今まで見ないようにしていた現実を、何の用意もないタイミングで突然突きつけられ混乱した。
僕は母が精神分裂病(今でいう統合失調症)である事とそれが遺伝するかもしれない事、性的に倒錯しており既に異常である事。
この関係のないたまたま揃った3つの“事実”を勝手に関連付けた。
既に僕は正気を失っているのかも知れない。
そう考えた。
そして、その日を境に僕は精神的なバランスを崩した。
母の事や同性愛という“精神病”の事は誰にも相談できなかった。
その当時親友と呼べる、Ⅰには母の病気の話しをしたけども、さすがに同性に関心がある事は、口が割けても話せなかった。
Ⅰがどういう反応をするのか?全くもって見当がつかないからだったのか、それとも何と話せば良いのか分からなかったからなのか…
今思い起こしても、理由はよく分からないが、
「この事は墓場まで持って行こう」
と思った。
夜は眠れず、食は喉を通らず、何となく学校からも足が遠のいて行き、しばしばズル休みをした。僕の場合、ズル休みのため、親に仮病を使う必要もないのだから、簡単に休めた。
“正気を失うのなら死んだ方がマシだ。”
という考えは、心がバランスを崩すと徐々に歪んでいき、
“正気を失うであろうから死ななくては。”
というものに変わっていった。
学校に行かず、引きこもりのような生活をする中で、僕は何度か自殺未遂のような事をした。
今思えば、出会う本が悪かったのだろう。
今は情報が溢れる時代だから、昔とは少し違うのかもしれない。
しかし当時の僕にはあの分厚い本が間違っているとは到底思えなかった。
何故なら十数年生きた僕と比べ、経験豊富で優秀な賢い人が書いたものだろうから。
きっと正しいに決まっている。
良くも悪くも、本は人の人生を変えてしまう程の影響力がある。
僕は決して読書が嫌いではなかった。
趣味の事や興味のある事がある本は熱心に読んだ。
だけどその日から今日まで、僕は勉強に必要な本以外ほとんど読まなくなった。
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