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とあるゲイの思春期 - [3] 夏

僕は高校2年生の夏休みをどういう訳かろくでもない父親の女友達の家で過ごすことになった。

彼女は、甲子園球場から近い集合住宅に住んでいた。
そこまでどうやって行ったかはよく覚えていない。
恐らく阪急電車に乗って、住所の書かれたメモを片手にたどり着いたのだろう。
その夏は例年の夏よりも暑かった。

アスファルト付近の景色は熱気で歪み続け、僕の頭も少しのぼせていたのかも知れない。

父の女友達である彼女は気前良く家に招き入れてくれた。
彼女は恐らく50代か60代ぐらいだろうか。
父よりは少し年上のように感じた。

彼女は80代ぐらいの母親と二人暮らしで、結婚して独立した娘が一人いた。
たまに夜、酒を飲みに出歩く以外、日中は家で過ごしていた。
元々水商売をしていたがリタイアし、父とは夜の街で酒を飲み交わす仲だという。

彼女は、僕が自殺未遂をした事や母の事で頭がおかしくなっている事を父から聞いて知っている様子だった。
彼女が言い出したのか、それとも父が提案したのか、僕が自分で言い出したのか、今となっては定かでないが、せっかく甲子園球場の近くにしばらく居て、高校野球が始まる時期なのだから、甲子園球場でバイトをする事になった。

本屋で求人誌を買い、甲子園球場での清涼飲料水の販売を行う“売り子”のバイトに応募した。
特に面接のようなものはなく、指定された時間に甲子園球場の指定された場所に行き、初めて売り子のバイトをした。

炎天下の中、首から15~20本ほどの缶ジュースを下げ、客の視線を引き付けるため元気よく「冷たーく凍ったアクエリアスいかがですかー?」など掛け声を叫ぶ。
陽炎の向こう側に手を挙げる客が居れば飛んでいき、元気よく缶ジュースをコップに注ぎ手渡し、手際よく料金を受け取る。

今までの人生で野球観戦をした事は一度もないが、甲子園球場の階段は他の球場の階段に比べて急だと聞いた事がある。
実際どうか僕には分からないが、階段を一段飛ばしで勢いよく駆け上がる事が出来たのは若さ故だろう。

バイト仲間は、地元の少し擦れた感じ高校生たちと、バイトは初経験と言うのがすぐ分かる感じの女子2人組。
2人組の女子には夏の太陽が厳しすぎたのか、恥ずかしくて大きな声で叫ぶ事ができなかったからなのか、2、3日したら見かけなくなった。

擦れた感じの高校生たちは僕に、彼らなりの稼ぎ方を教えてくれた。

バックヤードの巨大冷蔵庫から缶ジュースを持ち出す際に、受付のおばさんに何本缶ジュースを持って行くかを伝える。
この時、おばさんには実際持ち出す本数より少ない本数を伝える。
ぬるくなる前に売り切れなかった缶ジュースを持ち帰るか、全て売りつくしてバックヤードに戻る訳だが、この際の差額を自分のポッケにしまう。
これを繰り返せば、時給にプラスαの金額を手にする事ができる…というシンプルなものだった。

お金はあって困らない。
高校生にとってのプラス千円~3千円の収入は大きい。
でも僕は罪悪感が働いたのか、その手口を行わなかった。

「教えてくれてありがとう」というような事は口にしたかもしれないが、何となく擦れた高校生たちは、つまんない奴という印象を持ったのか、それ以降あまり話さなくなった。
僕はとくに気まずさを感じる事もなく、淡々とアクエリアスやらコーラ等を売っていった。

高校野球が終わると、僕らの仕事も終わる。
その日1日で一番缶ジュースを売った売り子には、コカ・コーラ社のロゴの入ったTシャツがプレゼントされる。
正直大してうれしくもないプレゼントではあったが、1日の仕事を褒めてもらえるのは決して悪い気はしない。

擦れた高校生たちとの気持ちの距離は広がり続けたが、特に居心地が悪い事はなかった。
僕は追加でお友達は欲しいと思っていなかったから。
その頃の僕には抱えきれないと感じる程の秘密があったから。
他人と仲良くなるのは、とても嬉しい事だけど、それ以上に嫌われる事はとても傷つく事だからかもしれない。
何かの拍子に秘密がバレて傷つくかもしれない恐怖を感じるくらいなら、最初から誰とも仲良くならなければ良いのだ。

僕は、“擦れた高校生たち”以上に擦れていたのかも知れない。


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