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わたしの「こんまり」体験記②

↑この続きです。

荷物を選別するにあたり、ひとつひとつ手で触って、これはいる?いらない?の確認をしていくのですが、これがまぁなかなかのエネルギーを使いました。

とっくに「必要ない」と分かっているのに、頭が暴走して

本当に捨てていいの?
捨てたらいつか後悔しない?
それが無かったら、いつか大変なことにならない?
あなたの判断、本当に合ってるの?

こんな声が、脳内にエコーしてくるんです。
その度に深呼吸して、暴走した頭の中の声と距離を取りながら、ゆっくり観察していると、どうやらその声はとても怖がっているようでした。

何を怖がっているのかって?
それは、「いつかの未来」の私に責められることを。
まるで正しいことを諭しているかのような「その声」の存在は、怖がっている子供、つまり過去の私だったようです。

間違った選択をしたと思った時、何かうまくいかなかった時、私は過去の私を責めて、過去の私に責任を押し付けてきたんやなぁと、この時ようやく分かりました。これは片付けに限ったことではなくて、日常のほんの些細ことから、人生の選択までいろいろについても言えることです。

でもね、未来の私が今の私を責めるだろうだなんて。。。他の誰より、自分自身に対して一番怖がっているだなんて。。。めっちゃ悲しいやん。涙
だからもう、そんなこと辞めようと思いましたよ。


そのためには、
①今この瞬間から、過去の私を責めることを辞める
②未来の私を信頼する
このふたつが必要だと思ったので、それぞれに取り組んだことがあります。

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まず、今この瞬間から過去の私を責めることを辞めるために、
自分の力で「モノに意味をつける」ということを徹底的に取り組みました。

モノには本来の役目だけではなく、それが私のところにある「意味」があるはず。
不要に思えるモノだからこそ、その意味(役目)を私自身で見つけていくという作業です。
例えば、

・ワンシーズンしか着なかった、ちょっと高くてかったジャケットは、買った時はすごくすごく嬉しかったこと。「誰々とどこどこでばったり会ったあの時、これを着てたなぁ」と、その時の出来事をすっかり思い出せる。でも着心地が悪くて着なくなってしまった。着心地って大事だと強く感じたし、あの嬉しくってたまらない感じを体験できたから、この服とは出会った意味があった!

・要らないけど、断れなかったこの器。やっぱり使わなかったけど、もらったことであの人は喜んでいたな。だから、もらった瞬間にこのモノの役目は全うした。


すると、私の身の回りのモノは全てが、「今、役目を担っているモノ」と、「すでに役目を全うし終わったモノ」でしかなく、それら全てが私にとっては意味のあったモノだったということが分かったのです。

今どれだけ不要なモノであっても、私のところにあるそのモノは、本当に徹底的に「ありがとう」でしかないってこと。
つまり、過去の愚かな買い物をした自分や、要らないのに捨てられない自分、断れない自分を責める必要は一切無かったわけです。
そう考えると、なんて平和で、なんて豊かで、なんってありがたいことなんだろう。
それまでは、免罪符のように使っていた、捨てる時の「ありがとう」の儀式も、この気づきがあって以来、心底「ありがとう」の気持ちが乗るようになりました。

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どうしたって意味づけられないような、自分の過去の愚かな行動を責めたくなるようなモノですら、私の元にある以上、必ず意味があるんですよ。
これはゲーム感覚、屁理屈クイズ王になり切って意味づけしていくしかありませんが、いずれにしても、「意味」は自分で見つけるしかないってことなんですよね。

モノをどうするか決められない時、モノと私の立場が逆転してしまって、モノに私が支配されている状態になっているですよね。モノの扱いを巡って過去の自分を責めるだなんて、なんて本末転倒なことをしていたんだ!
だから、私が主体的にそのモノに意味をつけることが、力を取り戻していく行動なんだと思いました。

そしてこれが片付けの醍醐味なんじゃないかって思います。
自分の世界をモノに支配されず、自分がモノを使って世界を創っていくこと、これぞ、spark joy!

続きます。

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