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ベトナム旅行記1


2023年2月23日。

長かったようであっという間だった3年ぶりの海外旅行に行けた日。

行き先は初めてのベトナム、ホーチミンでした🇻🇳


行きの飛行機は3回の時間変更で8時間遅れで出発

早朝出発だったので空港近くで前泊しないといけないなぁとわかってたものの、全然予約する気にもなれず、当日までホテルも取らずにいたのです。

そしたら遅延のお知らせがきてなんという直感の良さ!

そのおかげで、成田に前乗りすることもなくなって家のベッドでゆっくり寝れたし
ゆっくりと頭を整理する時間を空港でも取れたし、
遅れたお詫びにとビールを1杯ただで飲めました♡


そんな始まりからだった今回の旅。

ホーチミンに住んでる先輩の家に滞在させてもらって、ごはんだったり行きたい場所もほとんどお任せして過ごさせてもらった1週間。


前情報はなにもなく。通貨がベトナムドンだということすらも行って知るくらい。

お金の変換は、自動でしてくれるサイトに任せてたし


そんな今回の旅。


よし!いこう!と思い立って決めて
行けるか行けないかギリギリまでわからなかったけど、

今行くタイミングなのなら、行けるし
もし行けなかったら今はちがうよ。のタイミングなだけ。やんな。
と、流れというか神というか、身を任せた。


行けたから、今がわたしにとって
はじめてベトナムに足を踏み入れるベストなタイミングだったわけです。


メインのトピックは撮影と
週末の旅。

それだけ。


週末旅の行き先はルーレットで決めよう!ということにしていて、決まったのはホーチミン内のブティックホテル。

一番最初に出た案がここだったから

これも最初からここに決まってたみたいな運命のような出来事。



はじめてバイクの後ろに乗せてもらった時
心臓を鍛えるゲームかな?
と思うくらいドキドキした。異常な交通量。

日本ではありえない、圧巻のバイクたち。
"列になって従順に"なんてものは存在しないし突っ込んでくるのも日常的。信号がいっぱいあるわけでもないし、ルールがきちんとあるとも思えない。


だけど、成り立ってるのよね。

日本のようにルールの中で成り立つ信頼ではなく

決まりなんてなくても、
自立した思考回路で成りたつ信頼。


バイクが主流なホーチミンの景色を見てそんなことを感じました。

待ってたらぜったい進めないし、譲りまくってたら一生先にも進めない。安全な自動運転のようにはいかなくて意思がないとまったく進めない。


そんな街と、今いる人生と。

2つがリンクしていた気がします。
ベトナムに来て最初に感じたキモチでした。




道端でプラスチックのローテーブルと椅子に座って食べるローカル飯も体験しました。

わたしがこの世で一番苦手なもの。それはねずみです。

とにかく無理で、震えるほど無理で、
絵文字で見るのも震えるくらいだいっきらいな存在。ごめんね。ネズミたち。。。


日本でお店にねずみがでたら2度とその店には行かないし近くにもいきたくない。
トラウマでほんとーに嫌なのです。

だけどホーチミンでは一緒に空間を共にできた。


食べながら殻や搾りかすをポイっと下に捨てるのが普通な街。飲み終わった缶も、ポイっと投げ捨てるのがふつう。食べ終わったあとにお店の人が掃除してくれるっていう文化の街らしい。


暗い夜の街にちょうどいい餌たち。
ネズミたちには絶好の場所なのでしょう。
もちろんすぐそばにくることはなかったけれどごはんを食べてる席から10メートルほどの場所には3匹のネズミがいったり来たりを繰り返していました。

日本だったら恐怖ですぐ退散していただろうに
席に滞在してごちそうさま。までごはんを食べれたのは大きな変化でしかなかった。



これは既にどこかのタイミングで経験したことあるけれど、にんげんって"守りたいもの"があるからこわいんですよね。


少しのプライドがあるから仕事やお金を失うのがこわくなる。

この人が居ないと生きていけないと思い込んでいるから、パートナーを失うのがこわくなる。


これがないと先が見えないと思うから家やモノ、、、物質的なものが無くなることがこわくなる。


命がなくなるかもっていう恐怖心がバンジーやジェットコースターを怖くする。

コントロールできない不可思議さが虫や動物をこわく感じさせる。

殴られるのがこわいのは、、、痛みの先の内なる自分が失うものを見たくないから。


"こわいものがある"って、自分が失いたくないなにかを持っていることからでる感情だとおもうんです。
きっと無意識にでも。


この街では、言葉も通じなかった。
見る景色、すべてがはじめてだった。
街の食べ物も、通貨も、文化も、価値観も、まるっきり初めましてだった。

そんな中でのわたしは日本で普段滞りなく暮らしているわたしでは完全になかったし、

《何もないわたし》だった。

ホーチミンでの1わたしは、失うと思えるほど持ってるものは物質的にも感覚的にも何一つなかった。

全てが新鮮で、見たことない景色で、感じたことない空気。



人間レベルで初心にかえったら、こわいという感情は薄れていくのかな。


この街におじゃまさせてもらってます。という気持ちが、適応能力を瞬時にあげてくれました。


ネズミと共に空間をすごせて、そんなことを思いました。


たった6時間で行ける国は
"いつものわたし" から距離を置かせてくれる。


そんなベトナムでの最初の夜でした。

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