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時間の使い方は人生のつかいかた。
携帯の容量とカメラのSDカードの容量とパソコン の容量、ぜんぶが一度にいっぱいになった2023年の6月26日。大好きなお友達のお誕生日だった。
まじか。
と思ったと同時になぜだか、ほっとした。
わたしの容量もパンパンな気がしたから。
これから何日かにかけて2023年の前半の旅を振り返ろうと思ってる。今年はしいたけ占いの下半期はないらしい。
そっか。もうこれが容量の上限なのか。と。
デジタルとリアルを合わせてふとそう思えた。
わたしに今、インプットは、必要ないのだ。
課金して容量を増やすか、データがない真新しいものを調達するのか、はたまた今あるものを消していくのか。
新しいものを残そうとすると、そのどれかしかない。
《①課金して容量を増やす。》
今あるデーターは全部本当にそこまで重要なものなのだろうか。消してもいいものが絶対にあるはずだ。そもそもそんなに全て重要なわけがない。
人間は(少なくともわたしは)そんなに多くのものを抱えてなどいられないはずだから。
となると、デリートしたくないのはなぜだ。全部を大事そうに持っておきたいのはなぜなのだ。
たいして聞かない音楽、たいして見返したりしない写真、動画、滅多に使わないアプリ。24時間365日の中でどのくらいそれらと向き合っているのか。
"もしかしたら"という気持ちは生きるスペースを狭くする。だったら、さっさとやってみればいい。良きも悪きもさっさと試してみたほうがいい。
そのあとで、人生にいるかいらないのか、分けれるのだから。
①の選択肢はなくなった。
《②データーがない真新しいものを調達する》
まっさらな気持ちになれる。
でも膨大な未消化物はクラウドの中にまだ残ってある。根本の解決にはならない。
未消化物をどうにもできないが故に新しいものを調達する。
向き合うことから一旦逃れられる。
それをえらぶのは一旦、楽である。
ものがさらに増える。しまうスペースがない。
そもそも本当にそんなに必要なのか?
いらなくない??
自問自答をくりかえす。時間は待ってくれない。
まだはっきりしない。わからない。でも散らかっているのは気持ち悪い。
だから新しい箱を買い足す。蓋を開ければ散らかっているのに、なんだか少しおさまった気になれる。
②の選択肢が消せない。
《③今あるものを消していく》
消してしまったら、もう元には戻らない。回収者がくるまで数日間の猶予があるといえど、ゴミ袋に入れたものはもうゴミなのだ。
取捨選択に時間がかかる。向き合う時間が要る。
捨ててしまえばきっとスッキリする。
だけど、中途半端な気持ちでは捨てられないのだ。
なんたってついさっきまで必要だと言い張ってわたしのそばにいたのだから。
もしかしたら、、、が頭をよぎる。
"もしかしたら、は生きるスペースを狭くする"
数分前の自分の言葉を思い出す。
時間はどんどん迫ってる。
③の選択肢が消せない。
②と③の選択肢が残る。絶対的に、③がいい。それを採用した方がいい。
だけど、新しい撮影が明日になればやってくる。
今日の仕事が終わるのは23:00を過ぎた頃。
私たちは、多くのものを必要としないことを潜在意識ではわかっている。
本来ならiPhoneだって、電話とメールができれば良いはずだ。それだけで、じゅうぶんだったはずだ。
写真が撮りたいならカメラを使えば良い。
パソコンの役割りがほしいならパソコンを使えばいい。
音楽を聴きたいならCDできけばいい。
ゲームがしたいならゲーム機でやればいい。
ひとつの小さな箱で全てが完結するのは便利にもほどがある。だけど、できるが故に本来なら要らないものでも、あっても損はないよなと手にしたくなる。
持っていたくなる。
あっちでもこっちでも、"大事なもの"が散らばっていく。
それはほんとうに大事なのかもわからずに。
重い荷物を持ったままの散歩はしんどいように
容量が重いと意識が別の方へ行ってしまう。
身軽なら"今"にちゃんと集中できるのに。
多くのものを持ちすぎるのは自分の中心とどんどん離れていく。
自分の中心(ハイヤーセルフとか真我とか内なる自分とか呼び方はなんでもいい)とかけ離れていくのはいわずもがな自分の人生ともかけ離れていく。
必要なのはいつだって、内なる自分とつながる時間だ。
生きるを繰り返す中で、それはやっぱり、いくつになっても必要なじかんだ。
結局、わたしは②の選択をした。
何もかもがいっぱいになって、結局カメラのSDカードを新しく買い足した。
根本の解決にはなっていないのに、とにかくそれが最善だった。
これで気づいたことがある。
わたしが今1番やるべきなのは内なる自分と向き合うことなのだ。
今までし続けてきたインプットを、一旦整理して、次は出さなきゃいけない。
息を吐き続けてはいられないし、吸い続けてもいられないように、吸ったら吐かなくちゃ。
私たちは得ることばかりに目を向けて、
与えることを時におろそかにしてしまう。
わたしが手にしたものたちは、わたしだけのものじゃなくて循環させないと。
わたしが受け取ったしあわせは、わたしだけにとどめておかずに別の誰かへ循環させるのです。
"時間がない"
大人はよくつかう。言い訳にもほどがある。
だって時間は絶えずずっとあるじゃないの。
時間の使い方が下手くそなだけだ。
時間の使い方は人生の使い方。
つまりは人生の使い方がへたくそなだけだ。
ほんとに大事なものがいつだって取捨選択すぐできるように。
荷物はいつも軽くして。
そんなことを思わせてもらえた出来事でした。
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