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当時の感動を伝えるEXPO'70パビリオン

万博記念公園をぐるりとめぐり、EXPO'70パビリオン
にやってきた。それは1970年に開催された大阪万博で
は鉄鋼館という名で、前川國男によって手掛けられた。
閉幕後はパビリオンは解体され、残るのは太陽の塔、
日本庭園の迎賓館、大阪日本民藝館、それと鉄鋼館。

そこには1970年当時の最新・最高の技術が集結され、
コンサート等が開催されていた立体音楽堂「スペース
シアター」やフランスの彫刻家フランソワ・バシェ氏、
音響技師のベルナール・バシェ氏によって鉄を使った
音響彫刻などが設置されていた。そして2010年3月に
EXPO'70パビリオンとして開館し、今に至っている。


建物は縦の壁の連続と低層部の横ラインで構成されて

自販機は残念だけど仕方ない。庇もいつか当時の色で
ガラス貼りの広々としたホワイエの右手の壁沿いには
音響彫刻が並べられている。当時に制作されたのは16基で
日本人の助手の名前がつけられたという。これは川上フォーン
その川上フォーンの修復・復元の様子をパネルにて

神戸新聞社の動画でもその様子を

2020年に川崎市岡本太郎美術館で音響彫刻の演奏も

コンクリート先の赤の内装に当時の雰囲気を感じつつ
ホワイエから階段を上り、展示スペースへと進む
ホワイエには外部につながっていた4本の柱の振り子の塔も
2階に設置された模型を眺めつつ展示室へと進む
万博のコンセプトは人類の調和と進歩
それに抗うものもあった。大屋根を突き抜けてそびえていた
太陽の塔の様子も模型でよくわかる
丹下健三の設計した大屋根に穴を開けて建っていた太陽の塔

太陽の塔は、進歩と調和のコンセプトに抗うもの

東西108m、南北291mの大屋根の柱はたったの6本。
丹下健三の発想もさることながら、屋根に大きな穴を
あけるという岡本太郎の強い意思。当時のやりとりに
想いはせる。それを可能にしたスペースフレーム工法
の一部は、今もお祭り広場に残されている。動画の最後
の二人の笑顔がとても印象的だ。対立の先の調和の姿。

スペースフレームと太陽の塔はこんな感じ
70年大阪万博のシンボルマークは桜。五つの花弁は五大陸を
ホワイエからホールへの光の廊下も気になるデザイン
建物の設計者、そして総合プロデューサーの前川國男 

前川國男から生み出された建物や空間にひかれている

古代コロセウムをヒントに作られたというスペースシアター
そこでは1008個のスピーカーが天井、壁、床下に設置された
演出プロデューサーは武満徹。ホール自体が巨大な楽器として
武満徹といえば、この言葉が掲げられた

音楽とアートにふれた美術館を思い出す

模型も展示されていたスペースシアターは
建物内でガラス越しに体感することができる
そこで行われていた照明や音響のプログラムによる演出は

高橋悠治氏によるエゲンという作品

スペースシアターを後にして、70年大阪万博の展示をめぐる
当時のパビリオンのデザインや熱量を感じつつ
渦巻都市という展示の周りにスペースフレームのシルエット
ユニフォームのデザインも気になる所
お祭り広場にはデメとデクという高さ14mのロボットも
展示の最後には、当時の会場全体が作成された1/300の模型
その細かな作り込みに驚きつつ、会場全体を東側から
北にまわり眺めてみる。左にはスペースフレーム工法の大屋根
ぐるりとまわって西側から眺めた模型は
ペーパークラフトで10年かけて作られたという驚きの作品

当時の会場の風景をモノレールからの動画も

楽しいEXPO'70パビリオンの建物と展示。そこにもう一つ
追加されていたのは、赤いシンボルマークが描かれた増築棟
展示ルートの途中に接続された、光の通路の先の入口へ


前川國男の設計した鉄鋼館は名前を変え、今も現役で
使い続けられている。スペースシアターを包み込み、
建物自体が楽器というコンセプトで作られた鉄鋼館。
博覧会が終了後も恒久保存される目的で建てられた
建物はコンクリートによる堅牢な構造で、その壁面は
リズミカルに構成され、建物にリズムを与えている。
そして新たに2023年8月に増築された別館も訪れた。

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