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姿を変えても記憶を語り継ぐ天主堂

長崎。1550年、フランシスコ・サビエルが平戸を訪問
して西洋文化の玄関口へ。キリスト教の文化が花開く
も16世紀末には一転、禁教と弾圧の時代へと向かう。

沈黙の250年を経て、1865年に再会を果たした宣教師
と潜伏キリシタン。1873年にキリスト教は解禁され、
1925年に30年の歳月を経て、赤煉瓦造の浦上天主堂
が完成した。鐘楼には大小のフランス製アンゼラスの
鐘が吊るされ、当時は東洋一の天主堂であったという。

そして、その20年後の1945年8月9日。原子爆弾は
浦上天主堂から500mの位置に投下されて炸裂した。
 
長崎。華やかさと共にある悲しみの歴史。浦上天主堂
は姿を変えながらも、その記憶を語り伝え続けている。


道沿いに鮮やかに咲くポーチュラカとマリーゴールド
野球場を越えて平和公園へ
公園の向かいのカフェスペースにて少し休憩を
店内にはnillという長崎のブランドの紹介も
平和公園のある場所は、以前は長崎刑務所があった所
長崎に残る原爆の記憶
平和祈念像の前を横切って
公園の先にみえる浦上天主堂を目指す
しばらく歩くとその双塔の姿が見えてくる
空の下のマリア像
祈りの風景を見上げつつ
併設された原爆遺物展示室へ
入り口には教会をかたどったロゴマーク
中には、最初に建てられた天主堂の姿の模型
側面も現在より複雑な意匠に
教会が完成したのは今から約100年前のこと
それは原爆により破壊され、今は遺物が展示されている
敷地内に点在する遺物を辿りつつ
再建された天主堂へと進む
その建物は壮絶な記憶をその内に刻んでいる
青い空の下の十字架。祈りの風景は過去から未来へと続いてく
迫力のある天主堂。当時の姿を思い浮かべてみる
ステンドグラスに刻まれる過去の記憶
建物の周囲をぐるりとめぐると
かわたらには二六聖人の一人、聖ルドビコ茨木の像
長崎に流れる壮絶は歴史に思いを馳せながら
浦上天主堂を後にする
平和公園を通り抜けて浦上天主堂へ

浦上天主堂を舞台にした映画の「祈り」

キリスト教伝来と禁教、そして原子爆弾の投下という
歴史を持つ長崎。その記憶は今も語り継がれている。

1930年の天主堂の完成から倒壊、再建、そして改装へ。
赤煉瓦タイルの浦上天主堂の歴史を、この旅で知った。
長崎は、異国文化の華やかさと同時に悲しみの歴史を
合わせ持っている。実際にその場所を訪れて、歴史に
思いを馳せてみる。長崎の歴史を感じる旅を続けよう。

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