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南島原でキリシタンの歴史にふれる

今回は長崎県の南島原をめぐる旅。博多から高速道路
を使い、諫早ICから南島原へ。途中、千々石展望台や
小浜温泉に寄り道をし、南島原までやってきた。ここは
世界遺産がある所。まずは資料館でその歴史に触れる。


南島原市の楽しい観光案内図

長崎の楽しい案内図は壱岐にもあった


車であれば小浜温泉からも程近い有馬キリシタン遺産記念館
まずは1582年の天正遣欧使節についての展示から
1549年にザビエルが日本にやってきたことで時代が動き出す
海を渡った4人の少年

その出来事は日本と西洋とのつながりの端緒にも

南島原を治めていたキリシタン大名の有馬晴信の展示も
長崎の世界文化遺産は12の構成資産からなる
そしてメインはこちらの展示
キリシタン弾圧から島原・天草一揆勃発までの流れがわかる
有馬晴信の死からその弾圧は激しさを増していく
そして湯島の談合で天草四郎が総大将へ
1637年10月25日におこった島原・天草一揆
そして1638年2月28日。原城が陥落し一揆は終焉する

有馬キリシタン遺産記念館の展示がよくわかる動画

館内には南島原市ブランディングムービーの案内も

満島ひかりさんが全編におもしろおかしく登場する

資料館のすぐ近くにある原城跡は
長崎の世界文化遺産の12の構成資産の内のひとつ
長崎の世界遺産をめぐる旅をあと少し続けよう
有馬キリシタン遺産資料館を後にして

島原城でふれた島原に流れる歴史

貴重な遺産が残された有馬キリシタン遺産記念館

華やかな西洋の文化が花開いていたという島原の地

1549年にフランシスコ・ザビエルにより日本に伝来
したキリスト教。洗礼を受けたキリシタン大名のもと、
南蛮貿易の拡大と共に広まったキリスト教は、九州の
地で根付いていく。しかし様々な摩擦により、禁教の
時代へ。1597年の26聖人の殉教、1612年のキリシタン
大名有馬晴信の死。キリスト教は弾圧と殉教の時代へ。

そして1637年に圧政への反発、飢饉、帰農武士の蜂起、
領民のキリシタンへの立ち帰り、様々な要因が絡み
あって島原・天草一揆が勃発した。天草四郎の存在
が大きな力ともなるが、最後には悲劇の道をたどる。

まだほんの少し歴史を垣間見たにすぎないが、一揆が
おこらざる得ない状況であったにちがいない。日本に
おけるキリスト教が歩んできた苦難の歴史。その地の
歴史を知り、そしてその風景を感じる旅を続けよう。





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