見出し画像

島原の歴史にふれる旅

初めて訪れる島原。博多から電車、フェリー、また電車
を乗り継ぎ島原までやってきた。道中、いろんな風景の
中を通り、そして島原城の片隅に立つ銅像を見上げた。
その像の名は、天草四郎。島原とキリシタンの歴史を
知る上では欠かせない人物だ。島原城内はキリシタン
資料館となっている。さあ島原の歴史にふれてみよう。


天草四郎の像は今も祈り続ける
その祈りは今の時代に届くようにと
おだやかな表情の天草四郎の肖像画
キリスト教が保護された時代にはクルス紋入りのお茶碗も
さまざまにデザインされたクルス紋が焼き物に
古田織部作の花十字の風露台。茶道とキリスト教がつながる
キリシタン武将が帯びたという脇差
異国文化のデザインが取り入れられた印籠や根付けや
クルスがデザインされた香炉
1612年の禁教令。そしてキリスト教の弾圧の世へ
島原地方のキリシタン弾圧の歴史の壮絶さが描かれる 
島原の乱は原城で終結する。そこに残された黄金の十字架
姿形を変えてでも、キリスト教への信仰は後世へ


島原に流れる歴史をほんの少し感じることができた。
キリスト教が庇護された世から、弾圧の時代へと移り、
そこに残された壮絶な歴史を垣間見た。1637年の島原
の乱にて16歳にして総大将となった天草四郎。原城に
立てこもった一揆軍は鎮圧され、乱は終わりをつげる。

旅をして町を感じ、歴史にふれて過去を思う。島原城
には、天草四郎とキリシタンの歴史が残されている。


島原城のMR。石田彰さんは鬼滅の刃の猗窩座の声も

1637年島原の乱は原城で終結し、時代は鎖国へ

海を望む原城跡に残された記憶。いつか訪れたみたい

舞踊団花童のPV。天草四郎とつながる海の風景がある

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?