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やりたいことに夢中になることの意味

昔は良かったけど、今は大変だ・・・みたいな話をよく聞きます。特に我々、オジさんオバさん世代から。

確かに、小学校の頃は明日とか将来とか、そんな先のことなんて、たぶん何も考えていなかったと思います。ただただ、今この瞬間が楽しかった。それだけで生きていました。

学校で受けた授業の記憶は、正直、あまり残っていません。でも先生たちの表情はよく覚えています。クラスで「MBSこども音楽コンクール」へ出るために、夕日を見ながら練習した時の横顔。教室や校庭、職員室での何気ない会話での、なんとも言えない笑顔・・・。

今となっては、小学生相手によくもまあそこまで付き合い、話を合わせてくださっていたものだと、感謝しかありません(笑)。

友達ともよく遊びました。

というより、遊ぶことが学校だと思っていました。給食に出てきた、嫌いなものは先に食べるかのような感じで、授業での勉強はササッと済ませ、なるべくたくさん遊ぶ時間をつくることが日課でした。

宿題だって、学校で済ませるものだと思っていました。家に帰ってしかできない宿題なんて、殆どありませんでした。親の話を聞いてこい・・・ってことぐらいでしょうか。

だから、学校からの帰り道は遊びの天国。田んぼの畦でバク転の練習をしたり、川で魚掴みをしたり、ギャーギャー言いながら行きつ戻りつ、鬼ごっこをしながら家に帰るような毎日でした。

時計やカメラ、身の回りにあるものを手当たりしだい分解したこともありました。土地改良のトロッコに乗って、真っ暗になるまで遊んでいたこともありました。

時代がそうだったといえばそれまでですが、1959年(昭和34年)に生まれた滋賀の田舎モンは、そんな小学生時代を過ごしました。

やりたいことが120%、友達と一緒なら200%、親が許してくれたら500%、先生が認めてくれたら1000%・・・なんて感じで、ホント自己肯定感を育むに余りある、恵まれた環境でした。

だから・・・ではないかもしれませんが、人に感謝することや人を思いやる気持ち、一緒にいることの意味を、体験的に学べたんだと思います。

翻って、現代の小学生に、そんな世界があるでしょうか?

特に首都圏では、中学入試が当たり前のように立ちはだかっています。それに乗らないと明日が見えない。ほんとうにそうでしょうか。

将来が不安だという親御さんの気持ちはわかります。その前提条件を疑うくらいなら、ひとまず流れに乗っておいた方がいいかなという判断も、十分理解できます。

ただ、それができる、それに従えるお子さんであれば、そうしてもいいと思います。

逆に、それが無理な、親の押しつけになるような、本人が嫌がっているようなら今すぐ止めた方がいいと思います。親の安心材料の1つになることがあっても、いっさい子どものためになっていないからです。

むしろ、そういった束縛から解放し、自由に、やりたいことをやらせる。それがゲームであっても、虫取りであっても、ボール蹴りであっても、何でもいい。

自分が夢中になれることをトコトンやらせる。ご飯を忘れるくらい没頭させる。その方がずっと意味がある。そう思います。

自分がやりたいと思ってやることと、イヤイヤやらされることの違いは、とても大きいです。

やらされていることがわかっていながら、それをやれる子どもなら、自分で課題を見つけ、自立した学びをつくれます。だから心配要りません。

ですが、やる意味を感じられないのに、無理矢理やらされている子どもたちは、やらなくて叱られ、やれない自分に腹を立て・・・自分の気持ちに嘘をつきながら、無味乾燥な時間を浪費しています。

好きなこと、やりたいことには絶大なパワーがあります。自分の人生を変えるに十分な、というより人生を切り拓いていく原動力が、まさしくそれです。

学校での勉強だけが「学び」ではありません。テストの点数が取れないとか、偏差値が低いとか、そんなことに左右される必要はありません。

それ以上に、夢中になれるもの、打ち込めることがあるかどうか。そんな ”人生偏差値” の高い人である方が、どれほど魅力的で、社会に貢献できるか。

そろそろ、そんな価値観にシフトした方がいいと思います。

☆カバー写真☆
宝物の1つ「DY-45」のリペアを担当してくださったヤイリギターのMaster Craftsman 小池健司さん(2014/10/16:筆者撮影)

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