いまこそ、学校や先生という存在の「問い」に立ち向かうとき
学校にガッツリ関わっている企業といえば、かつては模試などに代表される、いわゆる受験産業系だったものが主流だった。
それが、受験の一般化やICTの進化で広がっていく一方、そのオンライン化も徐々に進んできた。
それに加え、アクティブラーニングや英語、社会体験、課題発見&解決型学習などがメジャーになるにつれ、そういったコンテンツを提供している企業が先進的な私学やそこに勤める先生を中心にコラボしはじめ、どんどん学校に関わるようになった。
公立への浸透はまだまだ少なかったものの、今回の新型コロナ感染症拡大で学校(=学びの保障)が大きく揺らぐ中、教育委員会等のバックアップもあってオンライン環境が整ってくるにつれ、それまでは私学中心であった外部企業との連携が公立学校へも広がりはじめた。
この流れは今後ますます加速し、学校が聖域ではなく「社会の一部」、先生が聖職ではなく「プロフェッショナルな一人」という位置づけで、広く外部の企業や地域と連携しながら、幅広い学びを提供していく場になっていくことは、誰の目にも明らかだろう。
そういう流れを考えた時、入試(=上級学校への進学)をめざす学習、将来のために準備し続ける教育といった「一方向・単線型の生き方」では、もはや対応しきれないことは明白だ。
学びは生涯続けていくもの、副業の推奨、転職というキャリアアップなど、年功序列や就社が当たり前だった時代から、多様な価値観が認められる時代へと、社会構造は大きく変化してきている。
学校を中心とした学びの場においても、行ったり来たりができ、いくつものレールを同時に歩めるような「多方向・複線型の生き方」を保障しなければ、これまで以上に社会との乖離が顕著になり、誰もが学校に期待しなくなるだろう。
学校とはいかなる場か
先生とは何者か
改めてその「問い」に立ち向かう時期が、いま大きな波として来ていることは間違いない。
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