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夏の思い出とブロッコリー

ある暑い夏の日。小学5年生だった私は西の果てを目指そうと、友人たちと自転車を走らせた。

見知らぬ土地に心を躍らせながら、自転車を走らせること約2時間。

水もお金も持たずに旅立ってしまった私たちは『渇き』によって絶体絶命のピンチを迎えていた。

今思えば、本当に無謀な旅だった。

遠くまで来て引き返すこともできず、喉の渇きに加えて体力的にも限界が見え始め、焦りが募る状況下。

少し先を行く友人たちの背中を追いかけながら、歪んで流れていく景色に一瞬だけ「水」という文字が見えた気がした。

気のせいだったかもしれないと思いつつ、私はひとり自転車を降りてその正体を確かめることにした。

心当たりの場所まで戻ってみると、いかにも休憩所的な外観の建物があった。

「呉竹水荘」の表記は当時の私には読めなかったが、視界に入った「水」の文字が見間違いではなかったことだけはわかった。

あまり期待せずに中に入ってみると「ご自由にお飲みください」と書かれた張り紙があり、その下に備え付けられた蛇口を捻ると、ジャバジャバと水が出てきた。

ーー助かった!!

心の底からそう思った。当時の感情の震えは今も鮮明に憶えている。

それから慌てて、先に行ってしまった友人たちを追いかけて「おーい!!ここで水が飲めるぞ!!!」と声を張り上げて知らせたのだった。

「呉竹水荘(くれたけすいそう)」

その水は霊峰白山を源とした伏流水が100年かけて湧き出る命の水という。

私たちはその「命の水」によってまさに命を救われたのだった。


……

月日は流れ、またある暑い夏の日。

私は安井ファームの新入社員としてブロッコリーの定植(植えつけ)作業に駆り出されていた。

すべての畑仕事に共通するかもしれないが、定植作業もまた例にもれず炎天下ではなかなかのハードワークだった。

「この近くにいい休憩場所があるのよ、何て読むのかわからないんだけど」

休憩時間になると、ベテランのパートさんにオススメの休憩スポットまで案内していただいた。

どことなく見覚えのある風景が続き、そしてその先で、私は唐突に思い出の場所と再会することとなった。

自転車で旅をした当時は方角に詳しい友人についていった関係で地理を把握しておらず、以来この場所を訪ねたことはなかったのだが、長い年月を経ても景観はあまり変わっていないように思えた。

冗談みたいな話だが、かつて友人たちと目指した憧れの西の地で、安井ファームはブロッコリーを作っていたのだ。

*その節は大変お世話になりました。
*ああ、いえ、今日はいいんです。
*ちゃんと水筒を持ってきているので。
*あの日、この場所で渇きの怖さを教わったものでして。
*本当にありがとうございました。

心の中でそう呟き、深く一礼してから中に入った。

「ここ、呉竹水荘(くれたけすいそう)と読むみたいですよ」

そんなすっとぼけた返事をパートさんにしながら、素敵な休憩スポットでちょっぴりノスタルジックな時間を過ごした。

……

あの日、ここで一緒に水を飲んだ友人たちは今も元気で過ごしているだろうか。

いつかまたどこかでめぐり逢うこともあるかもしれない。

ひそかにそんな奇跡を願いながら、今日も私は安井ファームでブロッコリーと向き合っている。

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