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秋の夜長に哲学について見つめる時間

皆さんこんばんは♪
今日この記事を書いている時に寝落ちしてない事を祈りつつやっぱり寝落ちしてたので起きたタイミングで再開
さて本日のテーマは


秋の夜長に哲学について見つめる時間


です。

いつの日か哲学が好きになったなぁ。って
街中をふらふら歩いているタイミングで語れる時間がありました。
偶然に目の前に飛び込んできた。

人間は考える葦である

めちゃくちゃ有名ですよね。
けど私工業高校出身でなかなか学問に触れるような毎日を送っていませんでした。
しかし、とある先生をきっかけに
この有名なパスカルを国語の授業で学ばせていただきました。なぜだか
その当時から忘れられなかったんですよね。

熱量による価値創造

おそらく覚えている要素が2つあって
ひとつが熱量が圧倒的にあったレクチャーだったんですよね。

グレーのジャケットに赤いネクタイと赤いカーディガン? とても地味だが汗かきながら授業されてました。
そんな熱量が伝わってきたなぁと思います。

少し脱線。。
熱量の多さで言えば

早朝の栄めちゃくちゃ酔っ払いがいた

寄り添って寄り添って寄り添ってに熱量を保つ事でキャリアへの考え方が変わったりします。
だから無理にシステマティックに動かなくてもいいなぁと感じます。

ここもう少し厚く語りたいが一旦戻って

興味もなかった哲学への道を歩みたくなった理由二つ目は

妙に納得した考える葦という感覚

「人間は自然の中では葦のように弱い存在である。 しかし、人間は頭を使って考えることができる。 考える事こそ人間に与えられた偉大な力である」ということを述べています。

ここにも書いてあるように人間ってとても弱い存在です。 

しかしその弱さを受け容れて考え、行動するからこそ人間の偉大さとなる。

と言う発想
哲学ってありとあらゆるものを色んな角度で見て学になっているところが私にはワクワクするところなのかもしれません。

最近の私は自分の想いを結構出して生きてます。

ここのホテル素敵

この方が効率がいいから


寄り添っていると効率良くないなぁと思うことも多々あったりもします。
そんな話を昨日もしてました。

けどそこにはそれを踏まえても非効率でもいいから寄り添う意味があるんですよ。

なぜならそこにある大切を大切にしているから

効率を求めるあまり余白を抜くことを考えさせられ続けた時代に生きた私からするとそれって本当に豊かになるの?

って問いかけたりしました。哲学者のように考えてみました。

非効率で一見無駄なような時間もその人にとってかけがえのない時間である。

それを理解するまでには時間がかかるかもですが
そのタイミングで共に歩む意味があり
その人だからこそ今感じることができたんだなぁとわたしは思います。

ちゃんと大切なものを大切にしていきたいなぁと改めて感じた時間でした。

今朝見かけた龍
また雲かよとパートナーは言ってた。

愛ある時間を
あー日付超えちゃったではでは

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