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目の前の風景ー2024/3/12、郵便局にて

 郵便局に入ると、インドか、あるいは東南アジアのどこかの出身とおぼしき二人の若者が、スマホを片手に、なにやら自分の顔写真を撮ろうとしている。どちらもおそらく二十代の後半ぐらいで、待合のベンチに隣り合って腰かけ、伸ばした片手に持ったスマホの角度を微調整しながら、とり澄ました表情を浮かべようとしている。なぜ彼らが、わざわざ郵便局の待合のベンチで自撮りをしているのかわからないまま、わたしはとりあえず受付に行き、やってきた五十代くらいの女の職員に、持ってきた封筒を渡し、簡易書留を頼む。「あ、はい、書留ですね」と女の職員は言うが、その顔はうわの空で、視線は目の前のわたしを通り過ぎ、後ろのベンチにいる二人の異国の若者に注がれているのがわかる。

 しばらくすると、やはり職員らしき制服を着た五十代くらいの男の職員が、困り果てた顔でやってきて、「いま証明写真を撮ってるところかい?」と女の職員に小声でたずねる。女の職員は書留のスタンプを封筒に押しながら、「ええ、撮っているみたいです」とやはり小声で答える。

 なるほど、どうやら彼らは、何かの手続きをするために(それが何かは見当もつかないが)郵便局を訪れたのだが、手続きのためには証明写真が必要だと職員に言われたらしい。だから急遽自分たちのスマホで撮影して提出しようとしているのだろう。だがこれはあくまでも推測で、本当の細かい事情まではよくわからない。

 なんにせよ、どうやらこの状況がずいぶん長いこと続いているらしい。雨の降りしきる火曜日の午後三時に、予期せぬ来客が現れたことで、男の職員は戸惑い、いくぶん苛立っているように見える。それは彼の口調に含まれた微かな棘からも感じ取れる。

 男の職員は受付から出ていき、若者たちに日本語で何やら話しかける。だが帰ってきた言葉は日本語でもないし、英語でもなさそうだ。このこぢんまりとした小さな郵便局のなかで、彼らの答える声は不思議なほど大きく、力強く響く。やはり待合のベンチに座っていた七十代くらいのおばあさんが、目を丸くして若者たちを見つめている。いささか不躾なくらいに。わたしの簡易書留を事務処理している女の職員も、わたしの肩越しに若者たちの様子をちらちらと伺っている。「490円です」と言われ、女の職員に簡易書留の代金を支払い、郵便局を出る時も、若者たちはまだスマホで自分たちの顔写真を撮ろうとしている。唇を引き結び、真剣な顔で、スマホのカメラのレンズをまっすぐ見つめている。二人は友人同士なのかもしれないし、顔立ちがよく似ているから、もしかしたら兄弟なのかもしれない。カシャっとシャッター音がして、ふたりは撮れた写真を見せ合い、無邪気に笑っている。その傍らで男の職員が、途方に暮れた顔で撮影が終わるのを待っている。

 わたしは心の中で彼らになんとなく声援を送りながら、彼らがつつがなくその手続きを終えることを願いながら、郵便局を出る。

 あいかわらず冷たい雨が激しく降っているが、もうあまり冬の只中という感じはしない。むしろ冬の出口という感じがする。そろそろ季節が変わろうとしているのだ。

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