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フジコ・ヘミングさんのこと

フジコ・ヘミングさんのこと

フジコさんといえば、僕が最初に名前を覚えた日本人ピアニストで(そういう人、結構多いんじゃないでしょうか)、母が大ファンだったので誕生日にコンサートチケットを贈って一緒に聴きに行ったことがあります。
その時は確かショパンか誰かのピアノ協奏曲を弾いたのですが弾き終わったあとに、フジコさんがおもむろに立ち上がって、「ちょっと今の演奏ぜんぜん納得いかなかったからもう1回やらせてくれない?(大意)」とおっしゃって、もう一度まったく同じ曲を演奏されたことがありました。
指揮者もオーケストラも聴衆も「へ?」とぽかーんとしてたのを覚えています。
そういうことってクラシックのコンサートでは(というかどんなジャンルのコンサートでも)珍しいことなんじゃないかなと思いますが、僕は「うわあ、カッコいいなあ」と結構シビれました。
自分の音楽に対して一切の妥協がなく、ダメなものはダメなんだとはっきり口にする。
そういうことって、誰にでもできることじゃないですよね。
そして、確かに二度目の演奏はより素晴らしいものになってたと思います。
弾き終わるとフジコさんは満足そうにニコニコと笑っていました。

毎日山ほどタバコを吸いながら、拾ってきた沢山の猫たちに囲まれて、ピアノを弾き絵を描きながら、下北沢で静かに暮らしてるのをテレビで見て、「ああ、こういう人のことを芸術家っていうんだなあ」と憧れました。

最近、晩年の演奏を映像で観る機会があったのですが、「ラ・カンパネラ」しても「幻想即興曲」にしても、確かに以前のようには指が動かなくなっていて、ハラハラするくらいものすごくテンポが遅いんだけれども、その遅さが全く瑕疵になってなくて、むしろ曲のもつ本来の美しさを際立たせてるように感じられて、ああ凄い、これがフジコさんが極めた音楽なんだな、と。

聴けばすぐに「あ、これはフジコさんのピアノだな」とわかる、そんなピアニストってあまりいないですよね。

今は94歳の祖母と暮らしてるので、最後までコンサートを続け、全身全霊でピアノを演奏するフジコさんのことを、もう一人のおばあちゃんのようにも(僭越ながら)感じていました。

フジコさん、あなたのピアノがとても好きでした。
ありがとうございました。どうか安らかに。
R.I.P. フジコ・ヘミング

#フジコ・ヘミング
#FujikoHemming

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