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目の前の風景 ー 2024/3/21

 家を出ると、風が強く吹いている。そして寒い。もうすぐ四月だというのに、急に冬に逆戻りしたような天気だ。でもわたしには、冷たい風がむしろ心地よく感じられる。もともと寒いほうが体調が良いし、春の暖かさが昔から苦手なのだ。あの生暖かい風と、咲き誇るいろんな花の甘ったるい匂いを吸い込んでいると、なんだか具合が悪くなってくるのだ。春がこなくても、わたしとしては一向に構わない。なんなら夏も飛ばしてもらってぜんぜん構わない。秋と冬だけあればいい。でも残念ながらそういうわけにはいかない。冬の次には春がくるし、春の次は夏がやってくるのだ。うまくいかないものだ。

 そんな阿呆なことを考えながら、いつもの散歩コースをたどって、近くの運動公園までやってくる。ここは元々大きな銀行の保養所だったらしいのだが、いまは一般に解放された公園になっている。園内には武蔵野の昔ながらの自然がまだ少しだけ残っていて、杉の大木の林があり、広場があり、私設図書館があり、テニスコートやサッカーグラウンドがあり、一周四百メートルの整備された陸上トラックもあって、近隣の住人がよくウォーキングやランニングにやってくる。わたしもその一人だ。2年前にここに引っ越してきてからというもの、「そろそろ四十になることだし、せめて1日30分は歩いたほうがいいのではないだろうか」と時間ができれば歩くようにしているのだ。でも歩くだけで、走ったりはしない。高校のときに体育の教師と怒鳴りあいの喧嘩をしてからというもの(いったい何が原因だったのかまったく思い出せないが)、何があろうと一生スポーツと名のつくものはしないと心に決めているのだ。

 そういうわけで、わたしが音楽を聴きながらのんびりと歩いている間も、次々とランナーたちが後ろから走ってきて、わたしを抜き去っていく。明らかに陸上か何かのスポーツをやっているとわかる若者もいれば、わたしより歳上の初老のおじさん・おじいさんたちもいる。なぜか走っているのは男ばかりである。これまで女の人がここで走っているのを見かけたことがない。ここで見かける女の人は、たいてい子育て中の若いママさんが多いし、園内にあるテニスコートのほうでは、子育てを終えたぐらいの年齢の女性たちのグループが楽しそうにテニスをしていることが多い。女たちはみんなどこか生き生きとした顔をしているのだが、男はたいてい一人きりで面白くもなさそうにむっつりとした顔をしている。たぶんわたしも別に生き生きとした顔はしていないと思う。

 トラックを一周し終わって家に帰ろうとすると、茂みにテニスボールが落ちているのを見つける。きっとテニスコートのほうから飛んできたのだろう。その真新しい黄色のテニスボールを見て、そういえば今夜は錦織圭が、マイアミで久しぶりに試合復帰することを思い出す。昨年にも一度復帰したのだが、連戦したとたんに手術した足の具合が悪化して、また長期の離脱を余儀なくされていたのだ。わたしの母は昔から錦織圭の大ファンで、その応援の熱の入れようたるや、ほとんど実の息子を応援しているかのようである。錦織圭が負ければひどく落ち込むし、勝てば一日ご機嫌である。彼の試合を観るたびに「圭くん、せめてあと十センチ背が高ければもっと勝てるだろうにねえ……」とため息をつく。どうしてあと十センチ背が高く産んでやれなかったのか、と嘆くみたいに。

 そんな母をずっと見てきたものだから、わたしとしても錦織圭には昔からなんとなく親近感を抱いている。生き別れになった兄弟、とまではいかないけれど、弟を応援するような感じで試合を観ていたし、彼が手術後に長いあいだ戦線を離脱して戻ってこれないことが気がかりだった。もう決して若いとはいえない年齢だし、彼がいないあいだにテニス界の勢力図はすっかり変わってしまっている。フェデラーが引退し、ナダルも半分引退したようなもので、ジョコビッチの圧倒的な強さにも翳りが見え始め、一方でアルカラスやシナーといった新世代のスターが誕生してきている。そんなテニス界でいま錦織圭が復帰してどこまで活躍できるかというと、正直なところ、期待しすぎるのはいささか酷というものだろう。わたしとしては、とにかく彼が怪我することなくプレーするところが観れればそれでよかった。無理をしてまた長期離脱するようなことだけは避けてほしかった。もし引退を考えているにしても(当然考えているはずだ)、なるべく悔いのないかたちで、最後まで錦織圭らしいテニスをしてほしかった。四大大会やATPランキングなんてどうだっていいではないか。クリント・イーストウッドが『ミリオンダラー・ベイビー』で言っていたように、「誰もがいずれは負ける」のだ。人生において敗北を避けることは誰にもできはしないのだ。だから人は、ある年齢を過ぎたあとからは、いかに勝つかではなく、いかに負けるかを考えて生きていかなくてはならないのだ。錦織圭もきっとそのことはもうわかっているだろうし、わたしもそのことはわかっている。わたしもそろそろ、いかに負けるかを考えなくてはならない。何を選びとり、何を捨てて生きるかを考えなくてはならない。

 その日の夜に、錦織圭がマイアミの一回戦で敗退したことを知る。でも試合後のインタビューを見てみると、彼はべつに落ち込む様子もなく、けっこう清々しい顔をしているので、なんだかホッとする。うん、そうだよな、圭くん。おたがいそろそろ、いかに負けるかを考えていかなくちゃいけないよな。

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