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自己紹介⑥(不自由な寮での浪人生活)

高校時代にサッカーに明け暮れてた僕は受験勉強を一切せずに大学を受験しました。しかも国立の医学部。もちろん受かるはずもなく、浪人生活を始めました。

地元に予備校はないので、実家を離れて大阪の予備校に通いました。予備校の寮生活が始まりました。初めての一人暮らし、少しわくわくしてた僕ですが、入寮したら不安しかありませんでした。寮のルールがすごく厳しかったのです。20時以降の外出は禁止、寮の他の部屋への出入りも禁止、つまり20時以降は自分の部屋で勉強するしかなかったのです。

しかも寮長が常に見回りをしていて、部屋から話し声が聞こえようものなら容赦なく怒られました。もちろんテレビもラジオもありませんでした。当時はスマホもないのでとにかく勉強をやるしかない環境でした。かなり息の詰まる1年間でした。

それでもたまにはリフレッシュで出かけたりしてました。寮に入っているのは地方から来ている人たちで、仲良くやってました。楽しみの一つが日韓サッカーW杯の観戦。寮の1階にはテレビがあって観戦することができました。みんなで集まってテレビにかじりついて観てました。友達にもらった観戦チケットでスタジアム観戦もしました。ベッカムフィーバー、ブラジルのロナウドの大五郎カットが話題になってました。W杯はサッカー好きの僕にとってはとっても良い息抜きになりました。

もうひとつの息抜きが焼肉でした。寮の近くに焼肉屋があって、月に1度、寮の友達と焼肉食べ放題にいくのが幸せでした。

大阪駅や梅田近辺に行くと、浪人時代の思い出がたくさんあるので、少しセンチメンタルな気持ちになります。今思えば、当時はけっこう追い込まれて、メンタルをやられてた気がします(笑)

浪人時代はとにかく勉強。高校3年間でまったく勉強してなかったので、1年間で集中して詰め込むのはけっこう大変でした。

僕は基礎ができてなかったので、周りの友達よりも明らかに学力は下、みんなは高校3年間でひたすら勉強して、東大・京大や医学部を狙ってた人ばかりなので、すごくレベルが高かったです。

元が低いので勉強をするにつれて偏差値は上がってました。最初は偏差値50代前半くらいから最終65くらいまでは上げたと思いますが、狙ってる大学の偏差値は68以上で合格ラインに届かないのでやきもきしてました。

そしてセンター試験当日。緊張しまくってた僕は腹痛で試験中に何度かトイレにいってました。完全に体調管理ミス。試験結果は目標スコアの8割くらいでした。普段の力を発揮できずで僕は土壇場に弱かったです。。。

国公立の医学部狙いだった僕はセンター試験の結果で受けれるのは地方の小さな大学くらいでした。結局、大分まで受験しに行きましたが、過去問対策も全然できておらず惨敗でした(笑)

結局医学部は諦めて私立大学の工学部に進学することになりました。医者にはなれなかったのは残念でしたが分子生物学の研究ができるので楽しみでした。新しく学べること、新しい生活が始まることにわくわくしてました。何より不自由な寮生活から抜け出せることにわくわくしてたのかもしれません。

そんな感じで浪人生活を終えていきます。予備校時代の友達はみんな優秀で東大・京大や医学部に進学した友達がたくさんいます。そんな優秀な人たちと一緒にいれたことは良い財産になりました。みんな元気かなぁ。

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