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自己紹介①(やんちゃな幼少期)

自己紹介シリーズを始めます。

まずは小さい頃の話から。

生まれは和歌山県の新宮市、
その後すぐに大阪に引越して、大阪の幼稚園に通いました。
小学校からは三重県です。

「岸谷康弘」という名前です。
名前の由来は当時の総理大臣の中曽根康弘さんです。

名前の意味(参考)
康:無事。事故や苦がなくて安らか。やすらかにする。安んずる。からだがじょうぶ。
弘:広く大きい。大きくする。ひろく遠くまでゆき渡らせる。ひろめる。

平和そうな名前ですよね。

3人兄弟の真ん中で、2つ年上の兄と2つ年下の妹がいます。
要領良くなんでもこなすタイプで勉強も運動も得意で好きでした。
頭が良いから将来は医者になりなさいと親に言われてました。
なんとなく自分も医者になれたら良いなと思ってました。

幼稚園の時の記憶はそんなにありません。
なんとなく残ってる記憶は体が大きくて強い同級生によくケンカを挑んでたことです。偉そうにしている人が嫌いで、反抗するけどケンカで負けるって感じでした

小学校1年生から三重県の名張市に引越しました。

いたずら好きのやんちゃな子供でした。女の子にいたずらをするのが大好きで、スカートめくりはよくやってました(笑)。
定番の黒板消しをドアに挟んで先生の頭の上に落とすこともよくやってました。下駄箱の靴を隠したり、校舎に落書きをしたりして、よく先生に怒られてました。
小学校の校長先生がカツラなのかどうかを確かめるためにゴムボールを校長先生にバレないように頭をめがけて投げました。結局、頭に当ててもカツラかどうかはわからずじまいだったのも良い思い出です。

話は変わって、1993年、僕が9歳の時にJリーグが開幕しました。
当時の日本経済はバブルでノリにのってた時期です。
世界の時価総額の企業ランキングのトップ20の過半数が日本企業。
実際はバブルが崩壊し始めてる時期ですが、Jリーグはギリギリバブルの時期に発足したのでとにかくお金がありました。

ジーコ、リネカー、リトバルスキー、ドゥンガ、ストイコビッチなどの海外の超一流の選手が日本に来てプレーをしており非常に盛り上がってました。カズやラモスのいるヴェルディ川崎が大人気でした。

僕はサッカー選手になりたいと思ってました。でも、残念なことにサッカーをやるチームが近くになくて遊びでやる程度でした。もし人生をやり直せるとしたら、小さい頃から強いチームでサッカーをやってみたいです。

そんなこんなで楽しい幼少時代を過ごしてましたが、小学校5年生の時に転機が訪れました。

次回につづく。

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