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人の可能性を信じることは時に面倒だが尊いしやりがいがあるという話

人のやりたい事を実現する

ことが素晴らしいなと思っていて、ボランティアでたくさんの人々をサポートしてきた。その人がやりたい事や実現したいビジョンを応援するのです。俺もたくさんの人に応援されてきているし、その恩返しも含めて、ほんとに世の中のシアワセ総量が増えると思うから。

で、その時は、人のことを信じて信じきることをテーマにスイッチをいれる。でも、これがなかななか難しい。

仕事柄、たくさんの求職者の転職支援をするけど、やると決めてやらない人が、まぁまあいる。派遣だと、初日から仕事に来ない(いわゆる飛ばれる)とか、すぐにやめちゃうとか。

「裏切られた!!」と思うことたくさん。怒られながら、コレハオレノセイナノカ。しばしば施設長に手みやげ持って謝罪したものです。はぁ、、

本気で成長とか人生変えたいガチ勢は

とはいえ、そもそも成長を目指している人は、それなりに真面目で謙虚。で、その場合はたいてい自己評価が低い。自分が思う以上に、人からはスゴイと思われている。でも自分はまだまだとディスって、自信が持てない。だからきちんと客観的に自分の力を認めてく必要がある。だからたくさん承認する。

でもこれはマックス限界値なのか

そこを乗り越え、自信を深め、たくさんのチャレンジをして、世の中に違いをつくる人たちは素敵で尊敬する。だから、何も言うことなんてない。すごいね!!以上終了。

でも、だがしかし、だな。それはその人の全力なのか。ほんとはもっともっと、できるのではないか。その人の人生のびしろ全開マックスなのか。俺はきちんとそこまで見ているのか。

その視点からみたら、もっとやれることはあるよな。そこに焦点を当てるのは、なかなかキツイよねお互い。頑張ってるって知ってるからな。だし、そこまで言うなら、俺もそこまでやらんと笑。

でもそこのチャレンジをしないのは、その人を過小評価している気がする。だからやっぱり信じると決める。

ゆえに、人を信じて信じきることは、尊いけど大変だ。でも、結局そこに取り組むのよね。乗り越えた先の景色を知っているから。うん、あなたも好きだねぇ笑。



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