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話を理解しないで聴くという聴き方があったのか

きくことは、実に奥が深い

経営者とかコンサルとかやってると、思考回路の根源には、「いかに合理的に最短最速で意思決定するのか」があると思う。

で、何か個人や組織で困っている事があれば、情報を集めて理想を描き、現実を知り、課題を把握して、解決策を立案し、実行する。

そんなことに、俺は最適化されている。

ゆえに、人が言うことや言いたいことを、高速で理解し整理し伝えて意思決定を促すことに自分の出す価値があると思っておる。

それ理詰め

で、仕事をする際には、その聴き方に何ら問題はなく、むしろ成果がでるから良いのだけど、
「理詰めされている!」
と捉えられることがあった。理詰めて。質問して内容を正確に捉える行為が、人によっては理詰めに感じるんや。
...ムツカシイ。

今必要とされていることは何か

いやでもな、果たして相手の話を詳しく聴いてくことは、必要なんだろうか。その人が求めてることや、その場で必要な成果は、必ずしも内容を正確に把握することではないのではないか?

人と向き合うプロの友人からもらった示唆がそれ。相手が理解して欲しいなら、全力で理解しようとする。

その場合は、それってどういうこと?なぜ?こういうこと?と確認してくけど、相手の期待がソレジャナイ場合はどうするよ?

その人が、自分で話して整理したいとか、スッキリしたいとか。その時は、問いやこちらの言葉での要約は邪魔だったりする。それなら、誤解を恐れず言うなら、相手の話をわかる必要はない。

これは、俺的エポックメイキング!確かにな。コミュニケーションは奥が深いよ笑。

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