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連載:メタル史 1982年まとめ

1982年の10枚を聴き終わりました。いろいろな動きがあった一年。これで30枚、全体の1割を聴き終わりました。

1980年、1981年は連続性が高かったのに比べ、1982年はいろいろな音像が出てきた1年。そしてN.W.O.B.H.M.の”終わりの始まり”を感じさせる一年でした。

N.W.O.B.H.M.の”終わりの始まり”

大きなトレンドで言うと、1979年にスタートし、1980年に一気に表舞台(UKヒットチャート)に吹き出てきたN.W.O.B.H.M.が1981年にピークを迎え、終わりに近づきつつある一年と言えるでしょう。なんでもそうですが、ムーブメントには終わりが来る。グランジムーブメントも以前検証したときはだいたい1991年後半(NIRVANAのデビュー)から1994年(カートコバーンの死)まででした。何らかの象徴的な出来事が起きる。

1982年、N.W.O.B.H.M.シーンの大きな出来事で言えばBlack Sabbathからロニージェイムスディオが脱退します。そしてランディローズの逝去。奇しくも分裂したBlack Sabbath組が両方ともラインナップの崩壊を迎えます。他にもIron Maidenからポールディアノが脱退Motörheadからエディクラークが脱退Def Leppardからピートウィリスが脱退と、N.W.O.B.H.M.を代表するバンド達がメンバー変更に見舞われる(Saxonは1981年ですがドラマーのピートギルが脱退しています)。

夭逝したランディローズ

1981年のまとめでも書きましたが、1981年って「1980年の延長」的なアルバムが多かったんですよね。UKからはそれほど新しいスタイルは出てこなかった。1980年のスタイルをもっと掘り下げていくという一年だったように思います。そしてそれがUSやドイツといった周辺に波及していき、N.W.O.B.H.M.への回答(RiotAccept)とでも言うべき作品が生み出された一年でした。

ただ、さすがに同じスタイルが続くと食傷気味になってくる。パワーコードを活用したギターリフやキャッチーなコールアンドレスポンスなどは新鮮であった分パターン化するのも早く、82年には飽和します。そうした「飽和した感じ」がもしかしたら様々なバンドのラインナップ崩壊につながったのかもしれません。「次はどうするんだ」という話は脱退とかメンバー変更にもつながりやすい話題。

1982年は「洗練」と「細分化」

では82年はどういう年だったのか。82年は洗練と細分化の年だったと言えます。洗練で言えばまずIron Maiden。看板ボーカリストだったポールディアノを脱退させ、ある意味「82年のラインナップ崩壊失速組」に入ってもおかしくなかったのですが、新任ボーカリスト、ブルースディッキンソンを迎えて見事に再生。それまでの2作をはるかに凌駕する完成度の「Number Of The Beast」をリリースします。ポールディアノ期も魅力があるし、素晴らしいバンドではありましたがあくまでN.W.O.B.H.M.の中でのトップクラスのバンド、という印象だったんですよね。本作でもっとコンテンポラリーな、より広い層に対して説得力が出る洗練されたHeavy Metalを完成させてみせた。パンク的な荒々しさやアマチュアリズムを内包していたN.W.O.B.H.M.の中にあって、同じスタイルでありながらレベルが違うプロフェッショナルな作品を生み出します。

1982年のメイデン

そしてDef Leppard。新作(1983年にリリースされるPyromania)レコーディング中に創設メンバーでソングライターの1人でもあったピートウィリスがフィルコリンズに入れ替わる変化もあり、この年はニューアルバムのリリースこそないものの、1981年にUSで開局したMTVの影響が大きくなりつつあった中で前作「High’n'Dry(1981)」に収録されていたバラード「Bringin' On the Heartbreak」がMTVからUSで大ヒット。ヒューマンリーグやデュラン・デュラン、ユーズリミックスなどと共に「Second British Invasion(第二次ブリティッシュインベンション※)」として大人気になります。ここから急速にDef LeppardはN.W.O.B.H.M.から離脱し、「(メタルシーンとは)別の場所で大成功したバンド」になっていく。

※第二次ブリティッシュインベンションはMTVの隆興が多大な影響を与えたと言われています。USのアーティストが本格的にMVを作り始めたのはMTV以降だったのに比べ、UKは昔からMVを作る習慣があった。なぜならThe Beatlesの影響で、彼らが「ライブを辞めた」タイミングで「生演奏できない曲」と生み出し始めるのですが、同時にそれまでライブ出演していた歌番組向けにMVを作り始めた。この影響でUKのアーティストはMVを作る文化が根付いており、流すMVが不足していた初期MTVにおいてUKのアーティストがヘビロテされて大ヒットが多発したそう。Def Lappardもこの恩恵を受けたのですね。

そしてJudas PriestはN.W.O.B.H.M.の音像を一歩先に進め、ポストパンク、ニューウェーブ的な浮遊感あるボーカルや音響をメタリックなギターと組み合わせた意欲作「Screaming’ For Vengence」をリリースします。既存のN.W.O.B.H.M.のサウンドから一歩も二歩も先に進んだサウンド。「荒々しさ」や「アマチュアリズム」よりは「計算された楽曲」「洗練された音響」を感じさせる作品です。

1982年のプリースト

Scorpionsもこの流れに乗っています。ドイツのバンドながらキャリアが長い彼らはN.W.O.B.H.M.の後を追うのではなく一足先にN.W.O.B.H.M.的な荒々しさをも取り入れながら完成度の高い作品である「Blackout」を生み出します。これによって(母語的にUKより不利な)ドイツのバンドでありながらUSで成功を収める。これも洗練の動きですね。

KISSの「Creatures of the Night」もそうした「洗練されたN.W.O.B.H.M.スタイルのアルバム」に入れても良いでしょう。KISSにしては過去一番にヘヴィなアルバムであり、ジーン・シモンズもリリース前のインタビューで「最もヘヴィなKISSだ」と言った言葉に偽りなし。とはいえ、過去何度もヒットを生み出してきたUSのアーティストであり、1980年代にN.W.O.B.H.M.から現れた新人バンドとは完成度が違います。キャッチーなフックや録音、編曲に至るまで完成度が高い。

サブジャンルの萌芽

「細分化」の動きを見ていきましょう。一線級のバンドが従来の荒々しさ、アマチュアリズムを脱却して格段に洗練されたアルバムを出した一方、中堅や新人バンドはもっと極端な方向、細分化の方向に向かいます。それがスピードメタルであり、ブラックメタルであり、ドゥームメタルであった。また、「N.W.O.B.H.M.の海外への波及」が非英語圏のスペインにも広がっていきます。メインストリームではないものの、この後多くのサブジャンルに分岐していく「Metal」と言うものの萌芽が見られる一年。

スピードメタルで言えばドイツのAcceptです。彼らの「Restless And Wild」の1曲目「Fast As A Shark」は従来のN.W.O.B.H.M.の荒々しさを更に一歩進め、疾走感あふれる楽曲にしました。そこに乗るガラガラ声のボーカル。同時にパンク的な荒々しさよりは構築された楽曲、作曲能力の高さを感じさせる曲で、ギターソロはリッチーブラックモア直系のクラシカルなものです。これは新時代を感じさせる曲。後の「ジャーマンメタル※」とか「メロスピ(メロディックスピードメタル)」と日本で呼ばれ一大勢力を築くジャンルの最初期の曲。

※なお、「ジャーマンメタル」「メロスピ」は日本用語で海外だと「Power Metal」か「Speed Metal」に分類されるようです。ただ、多分「Greman Power Metal」とか「Melodic Speed Metal」と言えば通じる気はします。

また、Venomの「Black Metal」もこの年。このアルバム、実はN.W.O.B.H.M.の中でもかなりパンクよりの発想で、ボーカルがやけに大きかったりアマチュアリズム、DIY精神を感じさせたりするのですが、そこで描かれた世界観がとにかく徹底して黒魔術や異教的なもの。これがBlack Metalのイメージを生み出します。従来のN.W.O.B.H.M.の流れとは異質のもの、「他の人がまだやっていないこと」をやった結果、極端な音像やキャラクターが生まれたのだと思います。

メタルって「悪魔的なものを歌っている」みたいなイメージがありますが、実のところアルバム全体で徹底した作品ってそれまでなかったんですよね。Black Sabbathもアルバム中に黒魔術や悪魔を描いた歌は何曲かはあっても、表現は意外と文学的だしもっと普遍的なテーマが多かった。KISSにしても悪魔的なメイクをしていても曲は普通のラブソングだったり(スタンレーが歌う曲は基本的にそう)。Iron MaidenBlue Öyster Cultはもっと文学的です。徹底して「悪魔的なイメージ」を追及したのはVenomが初めてだったと思います。時代の中から生まれてきた「Heavy Metalらしさ」を抽出してキャラクター化したようなバンド。イロモノ的な扱いもされましたがその徹底ぶりからメタル史に名を刻みます。

ヴィジュアル含めてコンセプトが徹底していたVenom

そしてDoom Metal。これは商業的なトレンドからは完全に外れていたので後からの再評価になりますが、Witchfinder GeneralPagan Altarが生まれます。70年代ハードロック的なものへの原点回帰したうえで、違う進化の可能性を模索したもの。

この年生まれたアルバムで一番N.W.O.B.H.M.らしいのはTankの「Filth Hounds of Hades」かもしれません。これは1981年に出ていてもおかしくなかった、というか、その方がより評価されたかもしれません。こちらは元ダムドのメンバーが中心人物ということで、パンクよりの精神性、歌詞のテーマや曲構造を持っていました。

非英語圏のメタル

スペインのBarón Rojoは名盤「Volumen Brutal」をリリース。80年代初頭の非英語圏メタルアルバムの中で随一の完成度を誇るアルバムです。N.W.O.B.H.M.の影響だけでなく、やはり音楽的な語法が違う、ラテン音楽的な情熱が込められている。模倣ではなくオリジナリティが高い作品。

また、今回調べてみて再認識しましたが、スペインって1975年まで軍事独裁政権があったんですね。この時代はドイツもベルリンの壁があり東西に分断されていた時代でしたが、スペインもまた今と違う時代。フランコによる長期独裁政権(1936-1975)が続いており、社会環境が大きく違った。「ロック音楽」的なもの、若者の自由といったものが大きく制限されており、その中で育ったメンバーから生み出された音楽は生々しさを感じます。

1975年、フランコの葬儀パレードの様子と思われる写真
出典

N.W.O.B.H.M.はUKの怒れる若者(不景気の中で不満をためた若者たち)のパンクムーブメントの影響を受けた部分が大きいですが、初期においては社会変革よりライブでの熱狂やビール+ヘドバンでの享楽的なもの、逃避的な側面がUKでは強く見られました。あるいは文学的なテーマか、いずれにせよ社会変革を直接訴えるものではなかった。しかし、パンク/ハードコアとだんだんと融合していき、いつの間にか社会変革をメタルは訴えるようになった。2024年現在では特に社会主義国や独裁国で顕著です(イランのメタルバンドやエジプトのメタルバンドは弾圧と戦っている)。それはそこに込められた激烈な感情とエクストリームメタルの極端な音像がマッチするからでしょう。

本作は歌詞が社会体制に言及したものも多く、そうした社会派メタルとでも言うべきものの最初期の例とも言えます。これは当時のUK、USやドイツ(※)のバンドとは根本的に違うところですね。

※ドイツのScorpionsとAcceptは言語能力の問題(母語ではない英語で曲を書いていた、Google翻訳もない時代だから英語の詩を書くのはかなりハードルが高かったのでしょう)があると思われ、少なくとも1982年時点ではあまり難しいことを書いていません。

このように、1982年はN.W.O.B.H.M.を洗練させて「次の段階」に進化するバンドと、細分化して特化し、後の「サブジャンルの祖」とされたバンド、アルバムが生まれた1年だったと感じます。

次は1983年です。引き続きよろしくお願いします。


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