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私の履歴書:邦楽編1.水曜日のカンパネラ

人生の一部分と共に強く記憶に残っているアーティストを紹介していきます。邦楽編1回目は水曜日のカンパネラ。

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水曜日のカンパネラ。通称「水カン」。カンパネラなのかカンパネルラなのかいつも少し迷う。Campanellaはイタリア語で「小さな鐘」という意味で、日本語表記はカンパネルラでもカンパネラでもどちらでも良いらしい。宮沢賢治の銀河鉄道の夜に主人公の友人としてカンパネルラという猫が出てきて(登場人物がすべて猫なのだ)、その印象が強いからかもしれない。

水カンを初めて知ったのは何だっただろう。ああ、そうだ。桃太郎だ。桃太郎のMVを見て自分の中でバズった。むしろ周りに広めて回った。私が小さなバズを生んだのである。私のような人間がほかにもたくさんいたらしく、桃太郎は当時のwebでちょっとしたブームとなった。

何が良かったかといえば、正論だったからである。「団子をもらって命を投げ出す物好きなんていない」「ペットと一緒に鬼退治とか絶対正気じゃない」。そりゃそうだよな。しかし言われてみるまで気が付かなかった。というか、幼いころに最初に桃太郎を読み聞かされた時「犬猿雉でなぜ鬼を倒せるんだろう」と素朴に思ったことをいつの間にか忘れてしまっていた。鬼はネズミの群れか何かなのか。自分の心に正直に、世の中の常識を疑う。そんな姿勢を水カンはもう一度教えてくれた気がする。

この「ツッコミ力」とでもいうべきものが水カンはとても高く、それがツボにハマった。アーティストは勢いに乗る瞬間があって、ちょうど桃太郎でバズった頃の水カンはかなり勢いに乗っていたと思う。次にツボに入ったのがシャクシャインだった。

ひたすら北海道の地名を羅列し、名所・名物を羅列していく。主義主張のない、「殷周秦漢三国晋~♪」のような情報を詰め込んだ歌。ナンセンスなのにところどころに「Notガッカリ札幌時計台」とか「試される大地北海道(当時のJRのCMキャッチコピーだった)」が差しはさまれて一聴して耳に残るフックがあった。また、無意味なノベルティソングなのかと思っていたら、タイトルになった”シャクシャイン”とは近世最大のアイヌの蜂起であるシャクシャインの戦いを主導したアイヌの大酋長であり、最後は酒宴の席で松前藩に騙し討たれる悲劇の英雄であることを知る。そう考えるとこれは北海道の歴史も踏まえた深い歌なのか、いや、やはり大して意味はないのか。この謎かけのようなセンスにさらに夢中になった。

水カンのインディーズ時代のMVには低予算ながら凝った作りのものが多く、映像も含めてインパクトのあるものが多かった。もともとYouTubeから出てきたアーティストであり、映像と音楽のセットで知名度を上げてきたアーティストであることを知った。過去曲の中でも気に入ったのがミツコだった。

「ハイ、魔女っ娘クラブです こちらは魔女っ娘クラブです」「学生割引3000円ポッキリです」「V.I.P.」畳みかけるようにシーンが展開していく。ギャグのようでギャグではない。Netflixのドラマ”全裸監督”がある特殊な業界、人物の描写なのに「あの時代の空気」を見事に切り取って見せたように、この曲には2014年の東京の街と時代の雰囲気、そしてどこか行き場のない感情が見事に切り取られていると感じた。この曲に出会ったあたりから、単なるギャグユニット、一発芸ユニットではなく音楽の力で感情を動かすことができるアーティスト集団なのだと認識を改めた。

こうした感動路線、より細かく言語化すると「ちょっと笑える要素もあるのだけれど、音楽的な完成度が高くて聞いているうちに妙に感動する」路線の傑作がマッチ売りの少女だ。このMVは最初観たときに衝撃を受けた。

ちょっとエロティックな始まりから予想外の展開をしていく。これはその後のコムアイ(ボーカルの女性)の活動を見ていると「女性であること」によって社会から受ける風当たりのようにも思うし、桃太郎がバズったことへの社会的注目度の高まりに対する不安と、その上で進んでいくという決意(どんなことが起こっても笑顔で歌い続けている)のようにも感じる。

この当時、ヤフオクの地上波TVCMにコムアイが抜擢され、各種TV番組にもコムアイが出演するようになっていく。インディーズアーティストながらお茶の間の知名度も得て、水カンは巨大化していく。急激に高まる知名度の中で、完全にアマチュアであったコムアイは表現者として急成長していく。表現者としてのコムアイが傷まみれ、血塗れになっても演じることを止めない。あたかも何事もなかったかのように曲は進んでいく。

この曲をインディーズ最後の曲に残し、水カンはメジャーデビューする。最初にリリースされた曲がチュパカブラ。主に南米での目撃情報がある吸血UMA(未確認生物)の名前である。

ところが、多大なる期待度に反してこの曲が良く分からなかった。音は確かにかっこよくなっている、メジャーらしく広がりのある音像なのだが、本格的なクラブ仕様というか、ある意味「音楽的すぎる」のだ。歌詞も、MVも、何か一つのテーマ、風刺にせよ感情にせよ、訴えかけてくるものを感じない。チュパカブラのように存在するのかしないのか、曖昧で伝説的なイメージを出したかったかも知れないが意味の解体をしすぎて迷走してしまったように感じる。単純な「音の面白さ」だけで勝負した結果、それまでの水カンが持っていたカッコよさと青臭さ、無意味さと意味深さの絶妙なバランスが崩れてしまう。それまでのアーティストパワーと勢いでそこそこヒットしたものの、「?」という曲だった。

次いで軌道修正を図ったのか、従来路線に戻りつつも音楽的洗練度を増したアラジンがリリースされる。

この曲ではコムアイの身体能力も印象に残る。パフォーマンスアートのような動き。ほぼ一人芝居でMVを成り立たせている。歌詞も魔法と「魔法のように汚れが落ちる」洗剤をかけ、無意味とも意味深ともとれるバランスを取り戻している。ただ、あまりにコムアイの表現力に頼りすぎているようにも感じる。メジャーデビューしたあたりから、コムアイの創作者としての意識が高くなったのだろう。逆に作曲者であるケンモチヒデフミとディレクターのDir.Fの色は薄くなっていく。彼らのセンスと思われる90年代サブカルチャーネタなどが減り、よりアーティスティック、時代の(尖った)トレンドに沿ったサウンドに変化していく。

アラジンに次いで、アイドル(偶像)としてのコムアイのピークとも言える“一休さん”がリリースされる。

ただ、この曲は完成度は高いものの新規性を感じれらなかった。過去の水カンのモチーフをなぞる、どこかで聞いたことがあるような曲。絶妙なバランスを保ちながらも常に進化してきた水カンが、それまでの自らを総括するような、完成度が高いものの過去の自分をなぞるような楽曲を作ってしまった。YouTubeの再生回数ではブレイクのきっかけとなった桃太郎に次ぐ再生回数をたたき出すヒットとなったが、今振り返るとここがピークであり、折り返し地点だったのだろう。あるスタイルで完成系にたどり着いたアーティストは、変化するか衰退するかを迫られる。

この曲の後メジャー1stアルバムをリリースしオリコン9位を記録。勢いを駆って日本武道館公演を行う。それまで小中規模のクラブやフェスのステージしか経験のなかった水カンが、一気に勝負に出た公演だった。~八角宇宙~と題された武道館公演は演劇性も強く実験的な舞台であり、今までMVで独自の世界観の構築を行ってきた水カンが、実公演で丸ごとその世界観を再現したライブだったと言えるだろう。その様子は下記の動画で一部見ることができる。

私はこの場にいた。席の埋まり具合は7割といったところだったか。けっこうチケットが余ったようで、コムアイもMCでなんとなく赤字を匂わせていた。その上で「このステージができて本当にうれしい!」とも。これは本心だったように思う。「これからさらに上を目指すぞ!」という感覚より「ここまでやり遂げた」到達点という感覚。コンセプチュアルで挑戦的な舞台ではあったものの、率直に言えば武道館という大きさのステージをフルライブセットで使いこなすにはまだ実力不足であった感が否めなかった。多くの要素があり、一曲一曲の世界観や各パートの面白さはあったものの、フルセットとしてみると統一感が薄いというか「MVの羅列」のような感じ。途中、日清食品(赤字を埋めるためにスポンサーをつけたのだろう)の商品キャラクターが乱入して茶番劇を繰り広げたのもやや間延びしてしまった。なぜかステージを観ながら「水カンというプロジェクトの限界とブームの終わり」を感じたのを覚えている。

武道館公演の後、水カンは変化を選び、新しい音楽性を模索していく。フランスのサイケデリックロックバンドMoodoïdとコラボしたマトリョーシカは新機軸の曲だった。

しかし、J-POPの主流から逸脱したサウンドは日本市場では苦戦。セカンドアルバム「ガラパゴス」はオリコン28位と前作から大きく順位を下げる。また、グローバルのインディーシーンやクラブシーンでも評価されず、活動がアンダーグラウンドになっていく。水カンらしさであったポップと前衛、無意味と情感の絶妙なバランス感は失われつつあった。

コムアイも大きな舞台、J-POPシーンや商業チャートの中での活動から、もっとアート性の強い活動に興味の対象を移していく。この頃、屋久島の自然の中でライブを行う企画がYouTube Originalの番組として制作された。

この中で「どう見られるかを気にしていたら自分のやりたいことができない」「その両立をできるのが自分だと思っていたけれど、どう見られてもいいやと思った」「そうやってみたら自分の納得できるものができるようになった」「武道館公演を見直してみたとき、こんなことやっている場合じゃないなと思ってしまった」とコムアイが語っている。おそらく、一通り「求められる自分」を演じてみて、その結果「ポップスター」としての在り方と自分自身との乖離を感じたのだろう。より自由な「表現」に意識が向かっていることが分かる。

コムアイはそもそもミュージシャン志望ではなかった。活動当初、慶応湘南藤沢キャンパス(SFC)に通っていた女子大生であり、「なんとなく面白そうだから」という理由で水カンに参加。当初の予定では他に2人、歌う担当と踊る担当がいて3人組でデビューする想定だったようだが、なんだかんだありフロントはコムアイ一人になった。まったくの素人であったコムアイは、ステージに出る前はいつも緊張で震えていたと言う。当初予想しなかった規模でブレイクし、武道館までたどり着いたときに「これでいいのかな」と思ったのだろう。それは入社2年目、3年目の若者が自分のキャリアを考えて転職を考えるのと同じ。ただ、コムアイの場合新卒入社していきなり武道館クラスのアーティストになってしまった。凄い勢いで多くの人の期待を背負う立場になっていく中で”求められる自分”と”なりたい自分”に乖離が生まれた時、その葛藤は激しいものがあっただろう。

この屋久島のパフォーマンスの後、クラブイベントで水カンのライブを観たことがある。コムアイは曲の途中にフロアに入ってきて観客に混じって踊っていた。無人のステージと観客席で踊るコムアイ。それはステージの上にいることに疑問を感じていたからかもしれないし、自分の立っているステージを客観視したかったからかもしれない。

その後、2021年9月6日にコムアイが脱退を発表。新しいボーカリストの加入が発表された。

水曜日のカンパネラの物語は一つの章を終えた。この後、もう一度水カンが音楽の魔法を纏えるのかまだ分からない。けれど、私の人生の一部分に確かに水カンの音楽が息づいている。





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