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ヘヴィ・メタルの誕生:Black Sabbath / Paranoid(1970)

2024年になりました。今年こそ「メタル史」を振り返り、自分なりの理解を深めようと思っています。

1970年:ヘヴィメタル誕生の年

ヘヴィメタル史を紐解くと、1970年を起点としているものが多くあります。それはなぜかというと、このアルバムですね。

Black Sabbath / Black Sabbath(UK 1970年2月13日)

ヘヴィメタルの起点をどこに置くか。いろいろな考え方がありますが、僕の知る限りこのアルバム(および1970年9月にリリースされたブラックサバスの2ndアルバム「Paranoid」の2枚)がリリースされた1970年が「ヘヴィ・メタルの生まれた年」とされることが多い印象です。つまり、Black Sabbathこそがメタルの父である、という史観。

僕もヘヴィ・メタルの起点は「Black Sabbath」がリリースされた1970年2月13日(金)だと思っています。人を不安にさせる不協和音であり、教会音楽で忌避されていたトライトーン(減五度)を前面に打ち出した曲「Black Sabbath」でデビューした彼らはUKの若者たちから絶大な人気を得た。

なお、1970年当時活躍していたThe Beatles(彼らの解散が公になるのは1970年4月)やLed ZeppelinDavid BowieEric Claptonらはすでに「手の届かない神格化された存在」であり、それに対してブラックサバスは身近な存在であったようです。彼らはバーミンガム(イギリス中部の工業都市)の労働者階級の出身であり、ギタリストのトニーアイオミは工場の事故で指を二本失い、義指をつけていた。カエル声の変な男(オジー)をボーカルに持つ彼ら異形であると共に親しみやすい存在でもあった。

1970年のブラックサバス
奥からビルワード(ドラム)、ギーザーバトラー(ベース)、オジーオズボーン(ボーカル)、トニーアイオミ(ギター)

彼らのデビューは鮮烈なものとして当時の若者に衝撃を与えました。「それまでのバンドとは違う何か」を感じさせるバンドであり、黒魔術・悪魔的なイメージを前面に打ち出したのも刺激的だった。彼らの影響もあって黒魔術や悪魔のイメージをLed ZeppelinDeep Purple、USではBlue Öyster Cult(彼らはH.P.ラヴクラフトのクトゥルフ神話もミックスした)らが取り入れていくことになります。

ジミー・ペイジ、リッチー・ブラックモア、トニー・アイオミと黒魔術の影響を語った動画。

さらに思い切って自ら悪魔になってしまったKISSのジーンシモンズ。


「ヘヴィ・メタル」は最初は形容詞だった

ただ、Black Sabbathのイメージや音像が最初から「ヘヴィ・メタル」と呼称されたわけではありません。1970年代当時はそもそもそれは音楽を指す言葉ではなかった。「ヘヴィ・メタル」がいつ生まれたか、もう少し詳しく書いておきましょう。

その単語の生みの親はアメリカの音楽評論家(かつミュージシャン)であったMike Saunders(マイク・サンダーズ)だとされています。彼が1970年11月12月発売のRolling Stones誌にHumble Pie(ハンブルパイ)のアルバム「As Safe as Yesterday Is」をこき下ろすために使ったのが最初。「まるで重金属(Heavy Metal)の騒音のようだ」といったニュアンスで使われました。原文はこちら。

"Here they were a noisy, unmelodic, heavy metal-leaden shit-rock band, with the loud and noisy parts beyond doubt."
ここにあるのは騒音(ノイジー)で、メロディがなく、重金属(ヘヴィメタル)が主導するようなクソロックバンドだ。疑いようもなく大音量でノイジーなパートがある。

英語Wiki

こき下ろしているようですが、当時のUKの音楽ライターはこんな表現が普通だったみたいですね。「ファッキンクール」みたいなノリなのか。いずれにせよ、これが音楽を形容する言葉として「ヘヴィ・メタル」という単語が使われた最初の事例のようです。

ただ、ここでレビューされたハンブルパイはヘヴィメタルバンドではありません。ブルースロックやブギー、ハードロックとは分類されても、今の感覚で言う「ヘヴィメタルバンド」ではない。ハンブルパイはスティーブマリオットとピーターフランプトンが組んだスーパーバンドであり、UKロック史に残るバンドですが、決してメタル史には出てきません。この時点では単なる一つのアルバムに対してライター個人が思いついた一つの形容詞であり、何らかの音楽ジャンルとは結びついていなかったことが分かります。

USの音楽雑誌であったRolling Stone誌やCreem誌のライターであったマイク・サンダーズはその後も定期的に「Heavy Metal」という単語を用いて、いつしかそれが定着していきます。最初は単なる形容詞だったのが、だんだん一つの音楽スタイルを表現するものとして変わっていく。

マイクサンダーズが使い続けた「ヘヴィ・メタル」という単語が浸透していき、1970年代半ばにはNeal Kayニール・ケイ)やTommy Vanceトミー・ヴァンス)といった著名なDJたちがラジオで「ヘヴィメタルの番組」を流すようになり、そこで音楽的なジャンル名として確立していきます。同時に、メタルファン特有の行動やファッション、音楽に合わせて頭を振るヘッドバンギングや、袖を切り落としたデニムジャケットにお気に入りのバンドのロゴやパッチを張る「バトルジャケット」のファッションが目立つようになり、彼ら「ヘッドバンガーズ」が支持する音楽がヘヴィメタルである=特定のファン層がしっかりついている音楽ジャンルである、とみなされていくようになります。

バンドTシャツ、ジーンズ、デニムジャケットにパッチ、革ジャン、長髪
こうしたスタイルが1970年代後半~1980年代にかけて固まっていく

なので、1970年に「ヘヴィメタル」が確立したわけではなく、1970年代後半~1980年代にかけて緩やかに音楽ジャンルとしての地位、ファンコミュニティを獲得していくわけですがその萌芽を辿ると1970年のブラックサバスに行きつきます。

音楽スタイルとしてのヘヴィ・メタルの確立:N.W.O.B.H.M.

「ヘヴィ・メタル」という言葉が今のような「音楽ジャンル」として確立したのが1979年に勃興したN.W.O.B.H.M.(New Wave Of British Heavy Metal)ムーブメント。そのムーブメントの中で「ヘヴィ・メタル」の音像とイメージが定義されていきます。

その背景として1975年からのパンクロックムーブメントがありました。従来のロック、そこから派生・複雑化したハードロック/プログレッシブロック(アートロック)に対するカウンターとしてパンクロックが生まれ、急速に時代が変わっていった。そのパンクに対するカウンターとして音楽スタイルおよびイメージとしてのヘヴィメタル(より厳密にはN.W.O.B.H.M.)が地下で確立していき、1980年代に入ると一気に花開いたというのが今の僕の理解です。下記は日本語版wikiのN.W.O.B.H.M.の始まりと背景に関する説明です。

1979年夏、イギリスでDJニール・ケイ主催のヘヴィ・メタル・ディスコ「Bandwagon」で商業的に無名なバンドによるライブイベント「Heavy Metal Nite」が開かれた。ローカル・バンドの自主製作盤の紹介も行っていた雑誌「Sounds」誌には、「Bandwagon」で紹介されたバンドのBest10を発表するコラムがあり、そこで注目されたアイアン・メイデンサムソンエンジェル・ウィッチによりツアーが行われたことが、ハード・ロックヘヴィ・メタル(以降 HR/HM と表記)バンドが次々と登場する発端だった。
由来は「Sounds」誌で、ジェフ・バートンの書いた記事による。1970年代後期のHR/HMは、パンク以降に登場したニュー・ウェイヴを支持する人間が過去のロックを「オールド・ウェイヴ」と呼ぶ事に対しあえて"New Wave"、ブリティッシュ・ロック低迷からの復権を願って"British"、ハード・ロックを継承しながらも新しい時代を切り開く意味で"Heavy Metal"を合わせて名付けられた。 パンク、ニュー・ウェイヴが過去の音楽を否定する事を始まりとするのに対し、NWOBHMは伝統を継承するとの主張が込められている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/NWOBHM

上述したニール・ケイ主催のイベントがきっかけですね。それまでのロックを「古いもの(オールド・ウェイブ)」として切り捨てたパンクロックムーブメントに対して、それを継ぐものとしての宣言でもあった。セックスピストルズに象徴されるシンプルかつ初期衝動の発露としてのパンクロックムーブメントは77年ごろから「ポストパンク(パンク以降)」、「ニューウェーブ」に移行し音楽的な模索がはじまって行きます。そんな時代の中で、従来のハードロック、プログレッシブロックに影響を受けたミュージシャンたちが(ハードロックより新しいもの、というイメージがある)「ヘヴィメタル」の名を冠し、「ニューウェーブ」として巻き返しを図った。その過程で「ヘヴィ・メタルらしい音像」が確立されていきます。

ただ、ここまで見てきたように「ヘヴィ・メタル」とはもともと音楽ジャンルを表す言葉ではなく形容詞でした。なので、音楽スタイルとしてのヘヴィ・メタルを定義するのは「ヘヴィ・メタルとされたバンドやアルバム」によってです。だから人によって印象が違うし、時代と共に音像が拡散・変化していきます。ただ、一般的に「ヘヴィ・メタル」とされる音像は、80年代のバンドやアルバム群を指すことが多い印象です。90年代以降は「メタル」「○○メタル」と拡散していく。海外のサイト(RYMとか)を見てもそういう使い分けのようです。サブジャンルとしての「Heavy Metal」は「Metal」という大きなジャンルの中の一つ。主に80年代に確立したスタイルのことを指しています。それまでのロックを否定したパンクロックに対して「巻き返し」を図ったために、以下のような特徴を持っています。

プロフェッショナルであること(基本的に演奏技術力が高い)
曲構造が複雑であること(スリーコードで完結するような曲はほとんどない)
文学的であること(同時代の社会に対する直接的なメッセージはあまりなく、文学的、ファンタジー的、哲学的な表現が多い)
スーパーボーカルとギターヒーローがいること(ギターリフが重要)
・荒々しさがある、特にギターサウンドのディストーションが強めであること(これがプログレッシブロックとの差異)

ヘヴィメタルサウンドを確立した1枚:Black Sabbath / Paranoid (UK 1970年9月18日)

1970年2月にデビューしたブラックサバスは、その年のうちに2枚目のアルバム「Paranoid」をリリースします。これこそが初期のヘヴィメタルを定義づけた1枚でしょう。わずか2日で録音されたデビューアルバムに比べると格段に成長。後にメタルアンセムとなる「War Pigs」「Iron Man」「Paranoid」といった曲を含み、抒情的な「Planet Caravan」ではサイケデリックでジャジーな表現も展開しています。後に「ヘヴィメタル」と呼ばれるジャンルで使われる各種表現を幅広く含んだロック史に残る名盤であり、メタル史を遡る時最初に聞くべき1枚。

アルバム冒頭を飾る「War Pigs」は反戦歌。ブラックサバス初の政治的な歌詞とされ、戦争を始める政治家たち、権力者たち、彼らは安全な場所にいながら前線に兵士を送り出し、戦争で一番被害を受けるのが社会的弱者であることを批判しています。当初、アルバムタイトルも「War Pigs」となる予定でしたが、当時はベトナム戦争の渦中であり政治的な意味合いが過剰すぎるということでアルバムタイトルを変更しました。彼らはのちのハードコアパンクのバンド達ほど社会的主張を持っていたバンドではありません。イギリスのバンドなので、アメリカのバンドほど直接的にベトナム戦争の影響を受けていないこともあるでしょう。もともとのタイトルは「ワルプルギス(Walpurgisnacht)」だったそうで、これは魔女・魔王の饗宴のことです。デビュー当時からギミックとして用いていた黒魔術・オカルト的なイメージから想起するものとして「戦争を操る黒幕」を歌詞の題材にしたのでしょう。社会に影響を与える主義主張を歌にしたというよりは自分たちのイメージにふさわしい歌詞の題材の一つとして戦争を選んだ。

Politicians hide themselves away政治家達は自らの身を隠している
They only started the war彼らは戦争を始めるだけだ
Why should they go out to fight彼らが戦場に行くものか
They leave that role to the poor貧乏人にやらせるだけだ

War Pigs

とはいえ、ブラックサバスのメンバーが生まれたころのイギリスは第二次大戦終戦の約5年後。まだまだ戦争の爪痕が残っていた時代です。むしろ、戦争というものがどのようなものか、市民の日常生活にどのような影響を与えるか、イギリスは直接戦地となったためそういう意味ではアメリカのバンドより体感としての戦争への忌避感は強かったかもしれません。アメリカは戦勝国とはいえ、本土は戦火に巻き込まれていません。

タイトルトラックの「Paranoid」は3分に満たない曲で、「シングルヒットするような曲を書いてくれ」と言われて昼休み中に思いつき、25分でレコーディングしたという逸話が残っています。即興性の高い曲であり、当時のライブバンドとしてのブラックサバスがいかに充実していたかを表す曲でしょう。

本作はブラックサバスのセカンドアルバムですが、デビューアルバムからわずか7か月後にリリースされています。ブラックサバスのメンバーはバンドでデビューする前、みな工場やトラックの日雇い労働者でした。彼らからすればバンドでデビューして稼いだ金はそれまで見たことがない大金であり、日雇い労働者の暮らしに戻ることはなんとしても避けたかった。そのため当時を回想するインタビュー(→外部サイト)を読むと「人気が出始めているうちにどんどんリリースしなければ」と必死だったようです。また、しばらくするとロックスターとしての生活におぼれ、ドラッグやアルコールの問題が出てきますがデビュー当時はかなりストイックな生活を送っていた。もともと工場労働者だったのでみな規律があり、早朝から練習をし、働き、夜はギグをする、という過酷な生活の中でライブバンドとして鍛えられていた時期です。そんな彼らのバンドとしての練度が最高潮にあった時期に生み出された奇跡の名曲。

Iron Man」はいかにもブラックサバスらしいひねりのあるヘヴィブルース。1980年代に日本でも大活躍したアメリカ人レスラーコンビ、ロードウォリアーズの入場曲としても有名でした。80年代って格闘技といえばメタル曲でしたよね。最近はヒップホップが多い気がします。その時々の若者に聞かれている曲が格闘技の入場曲に選ばれるのでしょうか。

なお、先述の通り「ヘヴィメタル」という単語が音楽ジャンルとして一定の音像を結びついていくのは1970年代後半に入ってからです。なので、このアルバムリリース当時にはブラックサバスは「ヘヴィメタル」としての自覚や自負はなかった。結果論として自分たちの音楽が「ヘヴィメタルの祖」とされていくわけですが、それはその後の歴史が作り上げたものです。彼ら自身は自分たちのことを「ハードなロックバンド」「ヘヴィなブルースバンド」だと思っていた。だから「ヘヴィメタル」のパブリックイメージや音像に問われることなく、自由に音楽性を模索しています。本作に収められた「Planet Caravan」はその好例で、サイケデリックでジャジーな音像。この曲のもつ抒情性は同時代のKing Crimsonの「In The Court Of The Crimson King」に収められたバラードにも近いところがあります。当時としては極端なディストーションギターの轟音と、当静謐な楽曲の対比。

また、メタル史に残る「元型」とも呼べる名曲を数多く収録したアルバムであり、のちのメタル史に広範かつ深い影響を与えた1枚です。

おまけ:実は「ヘヴィ・メタル」と呼ばれたがらないオジー

ジャンルとして「Heavy Metal」が確立したのは1970年代後半になってから。少なくともブラックサバスはその初期の活動において自分たちのことを「ヘヴィメタル」とは言いませんでした。実はオジーオズボーンは今でも「ヘヴィメタル」と括られることをあまり好んではいません。「俺はロック・ミュージシャンでいいじゃないか」と。オジーからすると「メタル」というのは「自分たちがデビューしてしばらくしてから勝手につけられたレッテル」なんでしょう。

「自分が『メタル』というレッテルを貼られることに納得がいったことは一度もないんだ。というのも、オジー・オズボーンはヘヴィだけれど、メタルと言われるバンドは本当にヘヴィだろ。それが同じカテゴリーに入れられてしまうんだ。特定のジャンルに分類されてしまうと、軽めのものだったり、アコースティックの曲だったり、自分のやりたいことをやるのがすごく難しくなるんだよ。昔は単にロック・ミュージックだった。今も単にロック・ミュージックなんだよ」

「自分に『ヘヴィ・メタル』という言葉を当てはめることはずっとできなかったことなんだ。音楽的に言って何も意味がないだろ。ヘヴィ・ロックなら分かるんだけどね」

オジーのインタビューより

Black Sabbathと並んで「ヘヴィ・メタル」という音楽ジャンルのイメージ確立に影響を与えたであろうMotörheadのレミーも同様のことを言っていましたね。レミーはライブの最初で必ず「We are Motörhead,We Play Rock'n'Roll」と言う。つまり、自分たちは「Rock’n’Roll」なんだと言い続けました。70年代前半にデビューしたアーティストで自らを「ヘヴィ・メタル」と明確に位置付けている大物アーティストはJudas Priestぐらいじゃないでしょうか。彼らは自ら「British Heavy Metal」というジャンルを開拓しようとし続けてきた。「Metal Gods」という曲をリリースしたり、「ヘヴィ・メタル」という単語を好み、そのイメージを意図的に作り上げてきた印象があります。

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