見出し画像

Tyler The Creator / Call Me If You Get Lost(2021、US)

共感度 ★★★★

「今更かよ」という感じですが、2021年、年間ベストで多数選ばれていたこちら。昨年のヒップホップだとUSはこのアルバム、UKはDaveが評価が高かった印象(Little Simzはソウル枠なので別とします)。リアルタイムで両方とも聞いては見たのですが、最初に聞いたときは今一つ聴きどころが分からなかったんですよね。で、時間をおいて聴きなおしてみてなんとなく共感できるようになってきたので感じたことをメモしておこうかなと。

まず、これってBGMとして楽しむべきものなんだろうなと改めて。というのも僕が音楽を聴くときのスタイルが「アルバムレビュー」を書きながらヘッドホンで集中して聞くことが多い。いわば「純音楽」的に聴くわけです。クラシックのコンサートとか、ロックのライブコンサートとか、要は「音楽に集中する」的なことを求めて他のことをしないで聴く。ただ音楽って当然ながらBGMの役割もあって、むしろこっちの聴き方の方が多いかもしれないんですよね。ヒップホップはそもそも純音楽的な聴き方なんか想定してないんじゃないかとも思う。

で、今回はBlutoothスピーカーからリビング、生活空間に流してみることにしました。そうすると悪くない、むしろ心地よかったです。リズムの引っ掛かりも適度にあるし、アルバム後半になってくるとメロウな感じ、ちょっと90年代的な感じも出てきて不思議と懐かしい感じもするし。そうかこう聞くものだったのか。もちろん、純音楽的にヒップホップを聴く人もいるんでしょうけれど、たとえばプログレとかメタルって純音楽的な要素が強いんですよね。クラシックの系譜を継いでいるからかもしれない。逆に言うとBGMに向かない。音量に依りますが他のことが阻害されます(ブラックメタルなど緩急がないものはアンビエント、ノイズ的に空間を埋める聴き方もありますがちょっと今回の主題からずれるので割愛)。でもヒップホップってあまり日常を阻害しないというか、うまくBGMになる、むしろ日常の気分を盛り上げたり増幅したりするなぁ、と。

こういう「音楽を聴く文脈」とか「音楽を作る文脈」みたいなものと音楽そのものを切り離すことはできないとここのところ改めて思っていて、たとえばJ-POPはやっぱり東京の街で聴くと沁みるんですよね。あと、東京の夜に沁みるものと、たとえばスキー場で聴くと沁みる曲って違ったりする。音楽は聴くシチュエーションが大事。これはBGMとしては当然ですね。悲しいシーンでズンドコ節が流れたら台無しだし、明るいシーンでレクイエムやエクソシストが流れたらそれも変でしょう。そういう「生活のBGM」としてのヒップホップ(というかポピュラー音楽全般、と言ってもいいかもしれない)を見てみたとき、意外と今の僕の生活に合わないこともないなぁ、というのが改めてのこのアルバムの感想。適度な郷愁(90年代レトロ感)、喧噪(ノイズの使い方や話し声の多重化などにぎやかさがある)、耳に残りすぎないメロディ(そこまで急激に日常に浸食してこない)、だけれど退屈でもない(リズムは凝っている)みたいなことがあって、心地よく聞けました。

ドライブとか、電車で移動するときに音楽を聴くとその音楽の魅力に気づいたりします。「どんなシチュエーションで聴くか」は大事。昨年は集中してヘッドホンで音楽を聴くことが多かったので、今年は違う聴き方でまたいろいろな音楽に触れてみよう、ということで。そんな聴き方で印象が変わったアルバム第一弾ということで本作でした。

本作について触れておきます。テイラーザクリエイターはもともとOdd Future(OF)というクリエイティブグループの創設者で一時期はフランクオーシャンも在籍。なんというか案件ごとにチームを組むクリエイティブユニットのよう。広告業界のクリエイターにも近いのか。類例で思いついたんですがパキスタンのロックシーンとかもこうですね。基本映像系の仕事をしている人が多い(映画産業が盛ん)なので、クリエイティブなことをする時にプロジェクトに合わせてユニットを組成する、ということが普通なんでしょう。パーマネントな「バンド」とか「チーム」ではなく、人の入れ替わりがある。コアメンバーは複数の場合もありますが、基本的にプロジェクトごとにメンバーが変わるという仕組み。でOdd FutureがどうもUSヒップホップ界ではそのやり方で存在感を発揮した成功例らしく、その後Blockhampton(ブロックハンプトン)というユニットが今は盛り上がっている様子。Odd Futureと仕掛け人(マネジメント)が同一だったり、テイラーザクリエイターと交友があったりと人的交流もあるようです。今回、Blockhamptonが関わった「97 Blossom」というアルバムとたまたま出会って、いろいろ辿っていたらこのアルバムに行きついて「聴きなおすか」と思った次第。なるほど、なんとなく空気感は通じるものがあるような。色々ディグっているうちに何度も目に入ってくるアルバムというのはやはり聴くべきアルバムなんでしょう。それだけシーンに影響を与えているということだし、何度もアンテナに引っかかってくるわけで。

このアルバムから僕が感じる”90年代らしさ”というのはいわばミックステープ文化なんだろうと思います。いろいろなサンプリングの元ネタをぶち込んでその上でラップしている。70年代、80年代はそのあたりが自由だったけれど、だんだんヒップホップが商業的主流化していくにつれてそのあたりが著作権の縛りで難しくなっていった。ただ、90年代まではまだまだそうしたCDも出回っていたんですよね。マッシュアップとか音MADとかもそうだし、そういう世界観は好きなんです。関連記事(←ヒップホップ系よりロック系が多いですが)。Vaperwaveとかもその時期のリバイバル感はありますよね。そこには「すごく有名なものを記号的に使う(70年代のディスコの大定番を「その時代の空気を表す物」として使う)」とか、「定番に新たな価値を付け加える」とか、あとは「知られていなかったものを掘り起こす」とか、そういう「音遊び」感があって好きでした。その空気を本作からは感じます。著作権の問題で、自分で元ネタ(なんとなく古っぽいホワイトノイズが乗ったような音源)を作ってサンプリングしているようですが「なるほど」と。2020年は1990年から30年ですし、「30年前」と言ったら1990年代から見たときの1960年代ですからね、クラシックロックというか「レガシー」になっている。それがかえって新鮮に聞こえるのでしょう。

同時に、本当の90年代の音源に比べると音響面ではかなり進化しています。当時のCDとかって(CDというメディアの過渡期だったこともありますが)そんなに音が良くない。音は主観的な好みもありますが、客観的に言うと「長時間聞いていると耳が痛くなる」「日常の中で他の音に埋もれてしまう」「音量を大きくすると不快」みたいなものです。今の(メジャーな)音源って「小さな音量でも存在感がある」「ある程度の音量にしても突き刺さってくる感じがない」みたいな方向に進化している。こういう「生物学的な気持ちよさの追求」を僕は「音響の進化」だと位置付けています。音楽的な進化というより音響心理学とか耳の生物学的構造の理解が進んだ(かつ、音響機材の使い方やエフェクター、プラグインが進化した)みたいな要素の進化。リマスター盤の効果もそうですけれどね、今の方が「聴きやすい」「聞いていて心地よい、迫力を感じる」音になっている。2000年代ぐらいまでは単に「音量を上げる(ラウドネス戦争)」みたいなものもありましたが、それもひと段落して今は緩急をつけてのっぺりした音作りではなくなっている。イコライザーで見るとずっと音圧が一定(だから楽器数が増えるとある楽器の音は不自然に小さくなる)みたいなことが減り、きちんとダイナミクスもある。そうした方向への機材の進化と共に、曲作りにおいてもそうした意識がもたれるようになっている。だから「90年代っぽい」といっても心地よさ、音楽的快楽の度数が上がっているように思います。なんだかんだこういう音も「嫌いじゃない」ことが分かってよかった。ようやく共感度がちょっと上がってきたので記事にしてみました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?