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サディアとイミリシェルへ行く

モロッコのアトラス山脈麓で仕事を始めた。あるときモロッコの同僚がベルベルの娘さんを連れて家に来た。
「この娘はいい子だ。掃除、洗濯それに食事もできる。」
「おまえのために見つけてきてやった。」
小柄なまだあどけなさの残る少女であった。
「いや、僕は自分のことは自分で出来るから・・・」と言っても、同僚は強引に薦めてくる。そして無理だとみるや、彼女は行く所もない気の毒な身の上なので、しばらく泊めてやってくれと頼みこんできた。後で違う働き口を見つけるまでだからと、押し付けられるように預かることになった。

「名前は?」
「サディア」
声をかけなければ自分から喋ってくることもなく、黙々と仕事をしてくれた。時々寂しそうな伏し目がちになるのは気になったが、二人にとっての共通語であるフランス語については、どちらも語彙は少なく、おのずと非言語によるコミュニケーションが多くなっていた。
サディアはトランプが好きで良く遊んだ。たまたまエアフランスでもらったカードが役に立ち、神経衰弱をサディアに教えながら楽しんだ。子供のような笑顔を見せることが多くなっていた。

彼女は子供のころから同僚の家で住み込み家事手伝いの奉公をやっていたこと、最近、同僚がサディアに近づいてきたこと。サディアはどうしたらよいか判らず泣いていたら、同僚に怒られて僕の家に行くように言われたこと、そんなことも少ない語彙ながらも理解できた。ただ彼女のことが理解できるようになればなる程、自分自身のことが分からなくなり、混乱し始めていた。

そんな時、サディアの故郷に近い町から日本人の友人NARITAが訪ねてきた。彼は知っている限りのベルベル語で彼女と話した。NARITAは3日ほど泊まってくれた。三人でよく笑った。三日目の夜、彼にサディアを託すことができないか尋ねてみた。彼はすぐに答えた。「いいよ、俺が雇う。」
次の日サディアは友人のバイクの後ろに乗り、僕の家から去っていった。
急に広くなった家の中に一人で神経衰弱をやりながら、《女神はいつもみんなに良い運命を与えてくれる》とつぶやきながら、ハートのエースを探していた。

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ベルベル族:北部アフリカのマグレブ地域に住む原住民。しかしこの「原住民」という言葉はベルベルの人々にとってはふさわしくない。
彼らは我々のイメージするいわゆる「原住民」とは全く違うからである。まるでエデンから舞い降りた使いたち。少なくとも僕の脳にはそのように焼き付けられている。
今は、チュニジアからモロッコにつながるマグレブ地域に、そしてスペイン南部やカナリヤ諸島の多くの人々にとってのルーツといわれている。
モロッコのベルベルは大きく三グループに分類されるようだ。北のリフ山脈に住むベルベルは勇敢な戦闘好き。
モワイエン(中部)アトラスのベルベルは歌と踊り好きの美人揃い。
そして南のオーアトラスに住むベルベルは商売上手といわれている。
ベルベルの人達にとって生きるということは紀元前から羊たちを連れて生活を続けることであった。
これを遊牧と呼ぶようになったのはその後のことではあるまいか、今こそ定住者が多いものの、山と丘の緑のサイクルに合わせて羊や山羊と共に長い歴史を生きてきた。
遊牧で村を形成しない人々にとって困るのは伴侶と知り合う機会のないことであった。彼らは、毎年秋、イミリシェルの丘に集まり、生きるためのパートナーを探した。それが「花嫁祭り」である。

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サディアを案内人にして、NARITAとイミリシェルに行くことになった。
ベルベルの集う場所はアトラスの中腹、丘とはいいながら道は険しい。
20世紀の初頭に、「風とライオン」の映画でも知られる植民地化する西欧と戦ったリフの人々の制圧目的もあって、山岳部の道路も整備がされたとはいうものの、半世紀以上の補修もなく傷みもひどい。そしてイミリシェルは整備された道路のそのまた先であった。
10cm以上もの砂埃が粉雪のように積もっている個所もあり、町から乗り入れる車にとっては自然の砦のようにも思われた。
そんな中、頼れる連れは若いベルベル娘のサディア、道路も言葉も状況判断も彼女次第という旅であった。
あのハートのエースを探した夜から、一年ほど経っていた。

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花嫁祭りへの道程は遠かった。麓の小さい村から、トラックを乗り継ぎながら丸一日。イミリシェルの丘に到着した時は膝と足首が固定されたように固くなり、他人の手をかりて抱えられるようにしてトラックの荷台から降りた。
ターバンで顔を覆っていた三人は布をとって互いの顔を見合って笑った。赤い土と乾いた灰色の砂塵が頭から目のまわり、口のまわりにもこびり付いて、まるで猪が砂場の獲物をとった後の形相になっていたからである。
ベドウィン風のテントでシシカバブ(羊の串焼き)を食べて横になると体の重量が増したように夜の中へと引き込まれていった。
何かが近づいてくるような物音の気配に、まどろみながらも自分の居場所がどこなのかを思い出しながら、その音は老婆がこねる白い粉と板の間からもれる震動だとようやく突き止めることができた。
夜が明けていた。

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パン生地のような塊はゆっくりしたテンポの鈍い音をもらし、老婆の手にはテントの隙間から入る水平に近い横の光があたり、深い皮膚のしわを一層深く強調していた。
テントから出て丘を歩くと、あちらこちらに焚き火が見えた。9月を過ぎたアトラス中腹の朝は寒い空気に包まれていた。
緩やかな稜線から姿を現わしたばかりの太陽は、昨日とも一昨日とも違う今日の新しい光をイミリシェルの丘に届けているようであった。
そんな新たな光を受けながらロバに乗った花嫁が頭巾をかぶりケープのようなハンディラに包まれて丘を登ってくる。
ロバの手綱を引くのは父親であろうか、前かがみになった姿勢が長いシルエットになって丘に写っていた。

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日が昇ると丘の上は一変する、行き交うヒトと羊で砂煙も舞っている。交渉にも熱が入る。「家の娘は気だてが優しくてホントに良い娘だ、50頭以下では絶対やれん。」
「そんなことを言ってると行かず後家になるぞ。」親同士が交渉を続け、当事者は口を挟まない。
娘は父親を信じているのであろう。嫁入り前の娘は頭巾をかぶり顔を見せてくれない。
交渉が成立するとお婿さんがしっかりガードして、これまた花嫁の拝顔などよそ者には出来そうにない。お小遣い稼ぎの子供達の写真を撮らせてもらった。

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帰りのトラックに一組の新しいカップルを見つけた。荷台のかどに座った花嫁は全身が白い布で覆われ、荷台の手摺を握る花婿の両手は誰をも近づけないという力こぶでふくらんでいた。
帰り道の砂埃は二人を祝福する花吹雪のように、来た時よりも一層元気にトラックの荷台に舞っていた。
ふと、NARITAとサディアを見ると、どこから仕入れたのかNARITAが花婿と同じように白い布をサディアに被せていた。
自分はといえば、来た時よりもしっかりと、目が見えないほどにターバンを巻いて、青い空だけを見上げていた。   〈終わり〉

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