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短編小説 : かつて僕は机の前に座って 

 満月に四日分足りない月の夜、僕は手書きのメモ用にB 5のノートを事務所のデスクに置いていた。僕は新しい鮮やかな水色のノートに持ち手が緑色のシャープペンシルで文章を書いていた。そこに書かれていることは一語たりとも思い出したくはない。そこには中学生時分にある同級生に殴られた出来事による心の傷が書き記されている。疑いの余地もなく、僕の中でまだ憎しみと怒りが膨らんでいた。そしてある種の殺人によって欲求不満を解消しようとした。僕を殴った田口という男はアトピーで人当たりが悪く無能であった。僕のノートの中で彼は入水自殺をしたのだ。救急車が到着したとき彼はまだほんの微かに呼吸をしていたが、深い昏睡状態にあり意識は失われていた。ここまでくると助かる見込みは百パーセントない。肌は冷たくなり、呼吸も間近で検査しないことには感知できなかった。救急隊員は彼がもう死んでいるとおもっていたが、実際に彼が死亡したのはそのおおよそ一時間後であった。息が途絶えた。彼は死んだ。この事件は死んだ。

 みんな忘れてしまった。落としどころに無駄がない。

 ベットに入ってすべてを忘れてしまえ。いいえ、忘れることはないでしょう。そしてノートの内容を消しゴムで消したのはそれが訳のわからないでっちあげられた作り話だったからだ。

 次の日の朝、消された完全な告白書を推察していた。僕はそれを読むことができなかったが、現実には他の誰も殺してはいないし、彼を殴り返さなかったし、彼は入水自殺もしなかった。僕はそれをやったんだ。僕がいいやつということに関して言わせてもらえれば、彼をガス室に送り込んだり、ギロチンで首を切ったり、電気椅子で焼いたり、ロープにぶら下げて打首にしたりしていない。フラペチーノを頼む子供たちにも聴かせることのできる作り話さ。仮に僕が彼を殺したところで近所の人たちは口を揃えて「蚊も殺せないような穏やかな人に見えました」と証言するだけなんだ。

 僕はドアを開け、事務所をさっさと出た。人間はいったん殴られると、どこまでも憎しむらしい。僕は憎悪からくる怒りの激情に駆られて田口の存在を殺した。巷の少女に頭が狂っていると言われかねない。

 しかる後に舞台設定を整えて、香川という男の殺害にも及んだ。いつかの夜に彼に向けて拳銃を発射した。しかしわからないのは、そして永遠に答えられることがないであろう疑問はどうして香川は教師でありながら、為すがままに権力を振るったかということだ。テニス部の女子生徒に対してわいせつ行為をした。それなのに地域の住民に謝罪もしていない。公務員が彼の職業だったし、ほとんど我々の税金で給料をもらっているはずだ。ところががわいせつ事件についてはただのひとことも話さなかった。あの男はテニスコートの中で若くして死ぬべきであった。時間というものはすべてをみすぼらしく、汚らしく、歪んだものに変えてしまう。年を取るということは穢れていくことなのであろうか。僕はそれとは無縁のままで終わることでしょう。さよなら、香川。

 僕は今、絵を描くことを職業としている。

 ほとんどどんなものについても絵で表現することができる。怒りも憎悪も人の苦しみも我がこの身のすべてを捧げた芸術家として。

 十月。この湿っぽい事務所のデスクで僕は一編の詩を読んでいる。僕はその詩が書かれたときの気分に浸っている。日が短くなって日の光が弱まり、窓の白いカーテンから柔らかな光が差し込む。事物が枯れ落ちていく。

 十月はレモンソーダを飲むのにふさわしい月ではない。十月について何か絵が描けるかもしれないと思った。もし僕がそのとき交わされた言葉や起こった出来事のすべてを頭に記憶しておけば。しかし今日のところ何も描いていないし本当はまだ九月だ。たとえそれでも僕はこの人生における望みは果たしのだろうか。そして僕はいったい何を望んでいるのだろうか。秋の午後に僕は一編の詩を読み続けていた。僕は精一杯人生における望みについて考えていた。

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