見出し画像

「誰も知らない村で泊まったみた」という企画 -タイの秘境村へ-

「知らない街を歩いてみたい」

1962年にリリースされた、ジェリー藤尾氏『遠くへ行きたい』の冒頭です。
この曲で歌われているように、知らない街を歩いてみたいと思った方は多いでしょう。
とはいえ、ほんとうに「知らない街を旅する」方はほとんどいないだろうし、僕もまた然りで、何の予備知識もない場所へ旅することはほとんどありません。

現代の旅はSNSやYouTube、ブログなどで見て「ここへ行ってみたい!」と思ったところへ赴くのが主流です。
その理由は「時間を無駄にしたくない」という時間対効果(タイムパフォーマンス)によるものが大きいからでしょう。

10代や20代なら時間をたっぷり使える人も多いでしょうが、僕と同じ年代の方であれば旅へ出るには、上司の顔色を伺いながら会社を休む、お客さんに告知してお店を閉める、旦那や嫁さんや我が子を家に置いていく、といったハードルを超えなければならない。

そこまでの準備をして向かった旅先が、どこにでもあるような町や農村だったらと思うと腰が引けてしまい、風光明媚が確約されている地を選ぶのは無理もありません。

では僕といえばどうか。
顔色を伺う上司はいないし、閉めなければいけない店舗を持っているわけでもなく、嫁さんも子供もいない。
つまり「行けちゃう」のである。

行けちゃうのに行かないのは、愚か者の所業。
というわけで、新企画「誰も知らないような村で泊まってみた」を始めることにしました。

まずは旧日本兵の英霊が眠る【クンユアム】へ

以前noteでも書きましたが、4月初旬にメーホンソーン県で催されているポイサンロンという儀式を見にいく予定を立てていました。
ポイサンロンの詳細はこちらの記事をご覧ください。

チェンマイからメーホンソーンへの道のりは険しく、くねくぬと曲がる山道を車で疾駆して5時間以上。
地方を走ることに慣れているとはいえ、運転にはけっこうなカロリーを使うので、せっかくならとメーホンソーン県ではポイサンロンを見るだけではなく、クンユアムへも立ち寄ることにしました。

クンユアムとはメーホンソーンから南へ70kmほどにある小さな町。
この地には、第二次世界大戦中の「無謀な作戦」と言われたインパール作戦で、命からがら敗走した多くの日本兵たちが眠っています。

日本人の有志たちが建てたお墓です
これらのお墓が建てられているのは寺院「ワット ムアイトー」
NPO日タイ教育交流協会が支援しています

そんなクンユアムに立ち寄りたかったのは、悲惨な作戦に従事した数千人といわれる英霊たちに手を合わせたかったことが一つ。
もう一つは、クンユアムで日本語を教えている高校に、お菓子を差し入れしたかったためです。

お渡ししたのは、高校で日本語を教えるジン先生です
クンユアムで日本語を学ぶ高校生たち。先のお墓を定期的に掃除してくれています

メーホンソーン市街地から南へ約15kmにある秘境村パーボーン

メーホンソーンからクンユアムまではひたすら山道を南へくだるだけなのですが、出発前Google Mapでその道のりを何気に眺めていて気になったのがパーボーンという村です。

観光地として知られた村でもないですし、風光明媚な場所として有名なわけでもない。
特に何かありそうな村でもないのですが、だからこそ新企画に打ってつけじゃないのか!?

たったそれだけの理由により、第一回目となる「誰も知らないような村で泊まってみた」はパーボーン村に決定いたしました。

メーホンソーン市街地から南へ車を走らせること約15km。
宿に着き村を歩いてみると、夕暮れの空の下、青々とした眩いばかりの美しい田園が広がっていて息を呑みました。

パーボーン村での滞在では、初めて会った村人は日本語が話せるタイ人だったり、日本人が作った温泉があったり、ふらりと入ったタイ料理屋に藁焼き地鶏があったりと、出会いありグルメあり癒しありの3日間。

その様子はYouTubeで収録していますので、秘境村パーボーンでの滞在をご覧ください。
また、noteでは動画内の各場所の詳細と現地で撮った写真を紹介します。

https://youtu.be/Q10lW2dKZi4

ここから先は

1,678字 / 17画像

ベーシックプラン

¥500 / 月
このメンバーシップの詳細

この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?