ポイサンロン|極式色に溢れたタイ北部の儀式@メーホンソーン県
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noteではメンバーシップ「西尾康晴 タイ王国研究所」を主催しています。
1〜2ヶ月に一度タイの地方を旅をして、その町や地方の文化や見どころ、歴史などを掲示板や限定記事で共有し、みなさんと共に知識などを深めていくメンバーシップです。
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「4月の初旬にポイサンロンというお祭りがあるんですよ」
北タイを周っている最中、メーホンソーン県のクンユアムで日本語を教えている高校があると聞き、山道を走らせて訪問しました。
そこで出会ったのが日本語を教えているジン先生。
彼女とお話ししている時に教えていただいたのが冒頭の【ポイサンロン】です。
彼女のスマホに入っていたポイサンロンの写真には、少年たちが色彩あふれた衣装をまとい、大人たちの肩に乗って街をパレードし、嬉々としている様子が写っている。
僕はタイ全土の祭りに興味がありいろんな祭りを体験してきましたが、ポイサンロンについては全くの無知でした。
ポイサンロン(ปอยส่างลอง)とは
ジン先生からポイサンロンのことを聞きぜひ自分の目で見てみたいと思った僕は、翌月の4月にメーホンソーン県へ再訪することを決めました。
その前に知っておかなければならないのは、そもそもポイサンロンとは何だっていうこと。
ポイサンロンとは少数民族タイヤイ族のもので、少年たちが出家する時に行われる儀式です。
(タイヤイ族はシャン族とも呼ばれますが、本記事においてはタイで一般的な表記として使われているタイヤイ族で統一します)
ポイサンロンの対象となる少年たちの年齢は8歳〜12歳。
原色を施した鮮やかな衣装を着て、花で作られた帽子を頭にかぶり、指輪やブレスレット、首輪などで装飾した子供たちは、大人たちの肩に担がれ、街を行進していきます。
この儀式が終わると彼らは半月から1ヶ月ほどの出家に入ります。
開催時期はメーホンソーン県内でも地域によって異なりますが、3月後半から4月にかけて。
もっとも参加者が多く規模が大きいのは、メーホンソーン市街地で開催されるポイサンロンです。
2024年の開催日程は4月5日から7日にかけての3日間。
初日は剃髪式、2日目はパレード、3日目は叙階式(出家式)となっており、一番盛り上がるのは2日目のパレードです。
僕は2日目のパレードに狙いを定めていたため、メーホンソーンには初日の4月5日に入りました。
到着したのは昼どき。
パレードは2日目に催されるのは事前の調べで分かっていたけれど、何時スタートかまでは分からず、現地の人に聞いてみることに。
聞いたのは、メーホンソーン市場で屋台を営むおばちゃんでした。
「8時ぐらいにお寺に行けばいいかな。いや、7時ごろがいいかも」
20バーツという激安ながら美味しいカノムジーンナムニャオを出しているおばちゃん、ありがとう!
ポイサンロンのパレードはワット クラーントゥンから
宿泊していたホテルを出て、メーホンソーン市場へ歩き始めたのは午前6時すぎ。
市場内の屋台で揚げたてのパートンコーと甘いコーヒーを素早く平らげ、向かったのは寺院「ワット クラーントゥン(วัดกลางทุ่ง)」です。
7時を過ぎたあたりから、鮮烈な色の衣装をまとった子供たちが続々とやってくる。
彼らはピックアップトラックに乗せられ、そのまま大人たちの肩に担がれて寺院へと入っていきます。
子供たちは儀式の間、地面に足をつけることを許されておらず、必ず大人たちに肩車によって移動するのがポイサンロンの特徴です。
寺院の敷地内では、男たちが演奏する鐘や太鼓が鳴り響き、肩に乗る子供たちもハイテンション。
一定のリズムを刻む彼らの演奏は、ポイサンロンを知らない日本人の僕でも心を踊らされる不思議な力を持っている。
日本人が「儀式」と聞けば厳かなものを想像しがちだけど、ポイサンロンは「祭り」としての要素が大きく、大事な子供が親元を離れ寺に入ることを皆んなで祝い、笑顔で送り出そうとしているのでしょう。
これが日本だと親が涙を流してしまうシチュエーションになりそうだけど、タイではやはり笑顔と踊りが似合う。
しばし寺院の敷地内で盛り上がったあと、午前8時ごろからパレードが始まりました。
パレードは2時間ほど続き、最後に戻ってきたのは出発地と同じワット クラーントゥン。
この日、メーホンソーンは8時ごろから気温が上昇し、午前中にもかかわらず30度を超す暑さに。
水を無料で配っているポイントがいくつかあったのですが、参加者が熱中症にならないための対策なのでしょう。
ポイサンロンでの食事は「12のおかず」
2日目の夜は、寺院にて子供たちの食事会が開かれました。
今年、ポイサンロンに参加した子供たちは25名。
4人ほどが座れる小さなテーブルに親子で座り食事をするのですが、おかずの品数は12品と決まっているようです。
「12」という数字にはどういった意味があるのだろうか。
そういえば、中国・雲南省のシーサンパンナはタイ語では「シップソーンパンナー(12のパンナー)」と言われ、これはビルマへの貢物を納める単位パンナーが12ヵ所存在することを指している。
シーサンパンナーといえばタイ族による自治州。
タイ族はミャンマーから伝来した仏教を信仰していることと、タイヤイ族(シャン族)は、インドのアッサム地方からミャンマーを経て中国雲南省にかけて分布する一族であることから、「12」という数字になにかつながりがあるのでは…。
というのは僕の憶測ですのであしからず。
メンバーシップ「西尾康晴 タイ王国研究所」の方々に向けては、ポイサンロンで撮影した写真の数々や、今回取材したワット クラーントゥン以外で開催されているポイサンロンの場所、僕が泊まったホテルなどを公開いたします。
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