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エンツェンスベルガー「空気よりも軽い」翻訳

本日、エンツェンスベルガーが亡くなった。正確には11月24日が彼の命日とのことだ。先日93歳の誕生日を迎えたばかりだった。私自身、学部時代よりエンツェンスベルガーの研究を行っており、彼がきっかけでノルウェー語に興味を持つようになったり、数学の翻訳を行うようになったりしたので、彼との出会いが私の人生を変えたと言っても過言ではない。今一度、彼にこの日本の地から感謝するとともに、彼の詩の中でも特に好きな詩を添えて哀悼の意を捧げたいと思う。

空気よりも軽い


詩は特別
重いというわけではない。
テニスボールが上がるとき、
それは、空気よりも軽いのだと、
私は思う。

ヘリウムもそう、
霊感も、脳の中の
この疼きも、
聖エルモの火も、
そして自然数だってそう。

超越的なものについては、
言うに及ばないが、
その気品ある従弟たちも
無数に存在するとはいえ、
ほとんど重さを持たない。

私が知る限り、それは
私たちの目には見えない
磁石の周りの磁場も、
ほとんどの後光にも当て嵌まり、
ワルツの音色だって例外じゃない。

忘れられた悲しみのように
空気よりも軽く、
本当に最後の煙草の
青い煙は、もちろん
自分自身なのだ、

そして、私が知る限り
神々の意に適うように
燔祭に供されたものたちの香りは、
いつも天に向かって昇っていく。
ツェッペリンもそう。

いずれにしても
多くのことは宙吊りのまま。
ひょっとしたら、私たちが地面の下に
埋もれるときに、私たちのもとに残っているものが
最も軽やかなのかもしれない。

(aus: Leichter als Luft


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