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ヤーン・カプリンスキー「(ラジオは天安門大虐殺事件について話している)」翻訳+紹介

(ラジオは天安門大虐殺事件について話している)
The radio’s talking about the Tiananmen bloodbath

ラジオは天安門事件について話している。
それは三年前のことだった。それが起こる直前に
私もそこにいた。広場には誰もおらず、太陽が輝いていた。
夜になると凍るように寒くなったが、街の空気は
埃っぽかった。それがゴビ砂漠から来たものなのか、
それとも街中にある工事現場から来たものなのかは分からない。
広場の反対側では、巨大な大釜が煮え滾っていた。
一杯のご飯に、ソースとサラダがついてたったの1ドル以下。
私は今でもその味を覚えているが
それと同じくらい、どの街でも若者たちが
ホテルのドアの前で次のように囁いてたのを覚えている。
両替だ、両替だ、両替だ、と。

(from: Summers and Springs

◆ヤーン・カプリンスキーについて

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カプリンスキー氏の経歴については、彼のHPでの自己紹介が一番手っ取り早いだろう。

1941年にエストニアのタルトゥに生まれる。言語学・社会学・エコロジー研究者であり、数ヶ国語からエストニア語への翻訳者としても活動している。母はエストニア人で、父はポーランド人だったが、戦時中に収容所で消息を絶った。タルトゥ大学で言語学を学び、学生時代にはミハイル・レールモントフやパーシー・B・シェリーなどの影響を受けて、初めてロマンチックな詩を書き始めた。ケルト神話や言語、アメリカンインディアンや中国の古典哲学ならびに詩に関心がある。ペレストロイカやエストニアの民族復興期には、国内外でジャーナリストとして活躍。1990年以降は、ソ連は救済不可能であり西欧諸国はソ連の崩壊を受け入れる準備をしなければならないと確信する。1992年から95年にかけてエストニア議会(Riigikogu)の副議長を務める。政治的にはリベラル左派に属する。タルトゥ大学で西欧文明の歴史についての講義を行ったことがある。エストニア語、フィンランド語、英語で数冊の詩やエッセイなどの本を出版しており、ノルウェー語、スウェーデン語、ラトビア語、ロシア語やチェコ語に翻訳されてもいる。西欧モダニズム(ランボー、エリオット、エズラ・パウンド)や中国古典詩に影響を受けており、その翻訳も行っている。主にフランス語、英語、スペイン語、中国語およびスウェーデン語(トーマス・トランストロンメルの詩集)の詩を翻訳している。中国やトルコ、ロシアの一部など、多くの国々を旅行している。いくつかの学会にも所属しており、エリー・ウィーゼルが主催するユニバーサル・アカデミー・オブ・カルチャーズの会員でもある。

ヤーン・カプリンスキーの日本での知名度はほとんどゼロに等しいが、詩人の経田佑介による『カプリンスキー詩集』(1999年、レアリテの会)という訳書が出ているが、絶版であり市場には出回っていないようだ。その内容の一部については、同じく詩人である中上哲夫のHPにある「カプリンスキーとは何者か?」で触れられているため、気になった方は参照されたい。ちなみに2016年には、ノーベル文学賞を受賞するのではないかと話題になった人物でもある(なお、この年のノーベル文学賞受賞者はボブ・ディラン)。

詩そのものは極めて明快であり、ある意味では素朴過ぎるとさえ言えるかもしれない。私はエストニア語は分からないが、中国古典詩に由来すると言われても納得のいく、素朴さと知恵を備えている風に感じられる(ちなみに英訳者の一人、サム・ハミル氏はカプリンスキーの詩を「素朴さで始まり知恵に終わる」と評しているらしい)。また、今回訳出した「(ラジオは天安門事件について話している)」の初出は『夏と春(Mitu suve ja kevadet)』(1995)なのだが、その詩集の表紙も特徴的なのでついでに載せておく。

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今後も彼の詩を紹介していくつもりだ。

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