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ロルフ・ヤコブセンの詩「ゴム」について


ゴム

六月の明け方四時過ぎの白けた朝、
国道がまだ濡れて灰色だった頃、
延々と続く森のトンネルの中を
一台の車が土煙を上げて通り過ぎて行った、
そこを今一匹の蟻がせっせとモミの葉を担ぎ、
百ニ十キロメートルにわたる国道の砂に刻まれた
「ブリヂストン」の大きなBの字の中を彷徨っていた。
モミの木の葉は重い。
繰り返しそれは揺れ動くその積み荷をふるい
落とし
そして再び奮い立ち
そして新たな葉をふるい落とす。
巨大な、雲で照らされたサハラを横断していく。

 ロルフ・ヤコブセンの詩について紹介するにあたって、最初にこの詩を紹介するのは決して妥当なものとは言えないかもしれない(他にもっと有名な詩があるからだ)。とはいえこの詩は彼が1935年に発表した『群衆(Vrimmel)』に収録されたこの詩は、私が一人では訳し得なかったという意味で少し思い出深いため、真っ先に取り上げることにした。
 さて、この詩の七行目にある「ブリヂストン」はもちろん原文にはない。ちなみに原文では »Kelly« とあり、英語の翻訳では“Goodyear”ないしは“Firestone”と、そしてドイツ語では »Continental« と訳されてある。ここでお気づきになった読者もいるかもしれないが、これらはみなゴム・タイヤメーカーである。車に乗らない訳者は、恥ずかしながらこれらの異なる表記が一体何に由来していたのか、辞書をなぞっても全く見えてこなかったのである。翻訳とは一人でするものではないなと感じた次第ではあるが、とはいえそのゴム・タイヤメーカーであることが判明してようやくタイトルである「ゴム」が見えてくる。
 「ゴム」は直接的にこの詩に現れるものではない。それは国道の砂に刻まれた、タイヤの痕跡のうちに辛うじて認められるものである。そしていわばその文明の最先端にあった車の(この詩が書かれたのが1935年ということに注目されたい)痕跡のうちに蟻が彷徨っているという対比が描かれているのである。一般にモダニズム文学は都市と自然といった対比を明確に描くか、ないしは都市称揚の側に傾倒する嫌いがあるように思われるが、ヤコブセンは決してそうではない。むしろ彼は都市と自然の境を描くことに終始しており、一概にどちらかの側に立たないという姿勢こそ、彼がノルウェー的な最初のモダニズム詩人として称される所以なのだろう。戦後にはそうした曖昧な姿勢というものはある程度排され、都市文明を「自然を食い尽くす暴力的な存在」として描くようにはなるものの(この詩もいずれ紹介したい)、戦前はその両義性を保持していたという点に、彼独自の視点があるように思われるのである。

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