Papers, Please. あと自由も
ゲームは特に説明もなく始まった。
入国は自国民に限る、外国人の入国は拒否せよという指示のもと、入国許可あるいは入国拒否のスタンプをパスポートに押していく。
数日後、入国券を持っている外国人であれば入国可能になった。入国券の日時とパスポートが正しいかどうかをチェックする。
でもその翌日、入国券は使えなくなった。より詳細な入国許可証に代わったためだ。
その後も労働許可証、身長体重などが書かれた証明書、伝染病流行のためのワクチン接種証明書と随時「必要」書類は増えていき、パスポートだけでは広かったデスクは書類で埋まっていった。
この国はなにやら情勢の不安定な国らしい。
その国で入国審査官をさせられている。薄給。だけどこの国では職があるだけありがたいことみたいだ。
Papers, Please.
ゲームタイトルでもあるこのセリフで、何百ものパスポートをチェックした。
朝、仕事場に着くと、その時点で見切れないほどの人が並んでいる。そして終業の18時になるとそのほとんどが結局見てもらえずに帰っていった。理由に差はあれど、全員が入国したいのは確かだった。
だけどその多くに入国拒否のスタンプを押した。書類に不備があったからだ。
何枚も何枚も書類のチェックをしていると、嫌いだったお役所仕事の、お役所側の気持ちが分かるようになった。
書類は全部きちんと揃えておけよ。不備があったら通すわけにはいかないんだよ。パスポートって何じゃないよ。どういうつもりで並んでたんだよ。また新しい書類が必要なのねしかも倍の値段でじゃないよ。必要なものは必要なんだよ。どうしても間に合わなかったじゃないんだよ。その日までって決まってるから有効期限なんだよ。
こちらは毎朝仕事場に置かれた指示に従ってるだけで、それ以上の判断はなかった。
パスポートを押収するように言われれば押収する。当然「このあとどうすればいいの?」と言われるが、それにも「伝票の番号に問い合わせてください」と返すだけ。
ある朝、写真に載った指名手配犯が現れたら即拘束せよという指示が出て、業務を開始するとさっそく指名手配犯だったことがあった。
「ここに来たのは間違いだったかもしれませんね」
そう言って拘束ボタンを押す。シャッターが閉まる。警備隊が駆けつけてくる。
「まさか本当に指名手配犯が来るとはね」
「指名手配犯? 何のことだ」
その後、警備隊が「出ろ!」と声を上げ、その人が連行されていく。その様子を見ながら、業務を再開する「次」という言葉が出せずにいた。何のことだ‥?
もしかしたらあの人、いや、ただしらばっくれただけだろうな、罪を逃れるためだ。
冷静を装った明らかな混乱。こちらが持っているのは、顔写真と、その人が指名手配犯だという情報だけだった。その人がどこで何をしたのかも、その情報の真偽も知らない。
それなのに、あの態度は何だろう。
あの人がきっと悪人だとして、悪人扱いを僕がする必要はあったんだろうか。
「ここに来たのは間違いだったかもしれませんね」
ルールを外れた明らかな偽造、不正、それから仕方なかったであろう何らかの事情での不備でも、数多くの人を入国拒否にした。
かと思えば「どうしても準備できなかったんだ、でもあの国にいると殺されてしまう」と言われたり、「あそこで守衛をしてる彼しかもう頼れる人がいないの、お願い」と言われると、不備があろうと通してしまうこともあった。この人は絶対嘘を言っていないと、会ったばかりの、他と同じドット絵の人物に対して確信していた。
その人たちの前後には、何の言い訳もせず、ただの書類の不備で帰っていった人たちもたくさんいる。彼ら彼女らになかったのは書類ではなく、物語だ。
物語がある人は、腕を振り声を上げ、いくらでも登場人物然としていられる。物語がない人は運命を飲み込むことしかできない。
物語がある人はずるいし、物語がない人はかわいそうだ。その運命を決めているのが自分だということも忘れて、そんなふうに考えてた。
だからお役所仕事には、物語を考慮しない「お役所仕事的」態度が必要だと思えるようにすらなった。
そもそも取得の面倒なパスポートや各種書類を揃えきった人だけを通す。それ以外は通さない。
そういう、ある種機械的なワークがこの仕事には必要だ。パスポートって何っていう人はそっちが悪いし、偽造したくせにナンバーの違った書類を持ってくるのはそっちが悪い。
役所、空港、銀行、病院、携帯ショップ。あらゆるお役所仕事的仕事が淡々として作業的に感じてしまうのは、それ自体が必要だったからなんだ。
あの人たちはみんな、物語で感情を揺さぶられないように訓練を受けている。
その訓練に使用するのは、必要以上の情報を与えないこと、それだけ。疑ったり考えたりする力を奪われた人は、よりハキハキと大声になる。そういうものはそういうものなんですと、そう判断できるように鍛えれてきた人たちだ。
情報も決定権も持たなければ、それ以上のクレームは上に通すしかない。
Papers, Pleaseで言えば拘束だ。
「また新しい書類が必要なの? しかも倍の値段で? この書類はじゃあもう無駄なのね」と言われても、決定権があれば通してあげることもできる。「そうです」としか答えられないのは決定権がないからだ。確かに決定権があれば、あらゆる不正ができうるかもしれない。
でも、不正ってなんだ。
その古い書類で入国させるのはどのくらい悪いことなんだ。
働いてくれる人を機械的にしてしまうほど、ルールは、ルールを作った人は、何に怯えているんだろう。
モヤモヤさまぁ~ず2という街ブラ番組の海外編では、キッチンカーで昼食をとったあとでその車に番組ステッカーを貼らせてもらうのが定番だ。つたない英語で貼らせてもらえるか聞くと、ほぼすべての店員が即OKした。そしてその店員のほとんどがアルバイトだった。日本ではまず考えられない。
前に僕がバンクーバーのポテト屋で買い物をしたとき、使い慣れてない硬貨のせいでよく分からなかったのだけど、どうやらお金が少したりていないらしかった。英語も理解できずどぎまぎしていると、その女性店員はめんどくさそうに「いいわ」という仕草をして通してくれた。
イスに座ってポテトを食べながらひとり、よかったのかなあと振り返る。
日本では、それが園児のはじめてのおつかいだとしても、1円でもたりなければコンビニのレジは通らない。
でもたりないのにバンバン通してしまうレジは使えない。
たりないのにバンバン通してしまう店員も使えない。子どもにおまけをする様子を見たおじさんに「子どもはいいのに何で俺はダメなんだ」と言われたら何も返せなくなり、結局、老若男女問わず適用されるルールが必要になる。
それでも、あの自由さ、軽やかさがうらやましくなるときがある。
それはきっと、ライブ映像での日本と海外の盛り上がりの違いにも影響しているはずだ。一律ではなくてバラバラに、あんなに楽しそうに声をあげるライブってどんなのなんだろう。
有効期限が一日過ぎただけのパスポートなら通してあげたかった。
どうしても揃えられなかったなら仕方ないよねって言ってあげたかった。
あらゆるお役所仕事のお役所側の人も、もしかしたらそういう思いを抱えながら仕事をしていたのかもしれない。どうかな。
でも毎日毎日、何人も何人も「さばいて」いると、そういう気持ちも薄れて単に面倒くさくなるよね。それはいいことではないけど、その気持ちも少し理解できた。
ドラマや映画の大体の主人公が型破りなのは、その他大勢が型ハマりだからだ。
みんなが決定権もないくせに責任とルールばかりの仕事に疲れてる。主人公に爽快さを代替させている。
このゲームで、型が、ルールが必要なのは、ルール嫌いな僕でも分かった。
だけどもう少し自由に、軽やかにいられないだろうか。
Youは何しに日本へという番組で、ある役所に撮影許可を取るシーンがあった。そこの役所のおばちゃんは、日程が限られてるか何かでバタバタしていた撮影クルーに「急いでるんでしょ? 聞いてみてダメなら後で言うから、とりあえず撮っちゃいなさい」と言ってのけた。あれはかっこよかった。
だからもう少し軽やかにならきっとできる。もう少し自由にならきっとなれる。
ステッカーくらいOKしてあげればいいんだ。ダメなら後で剥がせばいいんだから。
少しの決定権をたぐりよせてしまおう。
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