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イグBFC4 自身への総括

イグBFC(文芸ファイトクラブ)とは
本家BFCへのアンチテーゼ、
引いては文芸そのものないし文芸に関わる全ての現代の社会秩序に対して
個々の生き様の全てを乗せた言語をもって
ノーを叩きつける思想活動の一つである。
(民明書房刊 イグBFCとは何か より抜粋)

というのは
何となく難しそうな言葉を考えもなくテキトーに選んだだけのものですので
ご放念頂けましたら幸甚で御座います。

一応、その意図を説明しますと
黒い服をピシッと着たウェイターが
白く平たい皿をテーブルに運んできて
『こちらはオードブルのボケでございます』
と言うようなみたいな的なものです。

要するにイグBFCとは
難しいこたぁ抜きにして書いたもん出し合って
面白決定戦をしようぜ
というものだと捉えています。
認識が浅薄だと思われるかもしれませんが
現時点ではそういう能力がないので
仕方ないです。
(この先も育たない可能性大)

私としては文芸というジャンルにおいて
初めての応募となるものでした。
去年までは一読者として
見るだけのイグBFCでしたが
そのお祭り、その熱の渦の中に
自分も混ざりたいという気持ちが強くなり
イグBFCならばと飛び込んでみました。
そう、ほんの軽い気持ちだったのです。

知らないとは恐ろしいものです。
『無知の知』とソクラテスは言いましたが
この場合は無知の恥、
いや無知の無恥とでもいいましょうか、
恥を恥だと分からないほどに無知。
ムッチムチです。

「おいおい素人さんが紛れ込んじゃってるよ」
「ぼく?ここがどこが分かってるかな?」
自分の文、他の方々の作品を読むほどに痛感し
このセリフを自分に向けております。

まずはここで
受け入れて下さった管理者様、参加者の皆様に
お詫び申し上げますとともに
その寛大な御心に深くお礼申し上げます。

今回の参戦で痛感しましたのは
何より自分の圧倒的な力不足という事です。
全く基本がなってない。
基礎が弱いので脆く崩れやすい。
建築で例えるならば
(あ、建築に詳しい訳ではないです)
土台を藁で作っているようなもの。
崩すと崩れるでは全くの別物です。

私の文は作り込まれていない。
建築で例えるならば
(あ、特に建築に詳しい訳ではないです)
枠組みがないところにダラダラと
コンクリートを流し込むがごとき行為、
言葉の垂れ流しです。
"書いた"とも呼べないのかもしれません。

しかしじゃあ基本ってなんだろう?
キホンッテナンダロウ?
……
なぜ片仮名にしてわざわざ書き直したのか?
なんとなくです。
その方がいいかなぁって。
そう、まさに、こういうところなんです。
『奇策の多くは愚策である』
と誰かが言っていた様な気がしますが
(ソクラテスではないと思います)
策ですらない。
何の意図もなく必然性もなく考えることもせず
反射的に雰囲気と思いつきで
やりたくなっちゃうのです。

分かっているなら止めればいいのに
どうにもやめられない。

ここで『やめられないとまらない』の
かっぱえびせんを持ち出すか?
あるいは『どうにも止まらない』の
山本リンダを持ち出すのか?
非常に悩ましいところではありますが
いずれにせよ昭和。

そしてこれ以上、
こんな感じを続けていると本筋とは関係ない
どこか知らない世界に
行ってしまう可能性があります。
お医者さんが心臓マッサージをしながら
『まだだ!まだ行くな!戻って来いっ!』
と励ましてくれているので
気をしっかり持って現世に留まる事にします。

話を戻して基本とは?
さらには
良し悪しとは?
面白さとは?
文芸とは?
と自問した時に現時点の私としては
答えなんか無いという答えになります。
つまり私にとっては考えても
意味がないもなのです。
なぜなら
結局のところは
作者である自分自身も含めて
受け取り方次第だろうと思っているからです。
そう、"自分自身も含めて"というのが肝です。
究極的には
作者自身がどれだけ楽しめるか?
だと思うのです。

狙いに行ったものがはまってウケる
というのも気持ちがいいけれど
自分が面白いと思ったものがウケた
その時の方がより気持ちいいと思っています。
いつかは
『俺の書いたものはどうだ?最高だろう?』
と言える日が来たらさぞかし愉快だろうなと。
そもそも狙いに行くなんて事は
到底出来そうに無いですし。

文芸だけでなく
言葉だけでなく
創作の基となるものについては
経験してきた事
楽しかったこと
悲しかったこと
苦しかったこと
嬉しかったこと
喜怒哀楽感じた全てが、
あるいは感じなかった事すらも含めて
生きてきた事丸ごとが力の源になっているはず
というのが私の考えです。

仮に私の書いたものが劣っていると
私自身が思ったとしても
私自身が劣っているとは全く思いません。
違いはその原因、
自分をどれだけ文に注いだか
文芸に情熱という燃料をどれほど焚べているか
という事だと思います。
その熱が今回は足りなかった
という事だと感じています。

先に記しましたように
答えのあるものではないのが創作だとしたら
考えや理論で解決するものではなく
もうとにかく書くしかないと思います。
愚直に。
ガリガリと。
さしずめソクラテスアントニオ猪木の名言
『バカになれ』と言ったところでしょうか。
文章バカになればいい。
逆にバカ文章でも面白いけど。

負荷をかけて筋肉を大きくしていく
フィジカルトレーニングと全く同じで
書いて書いて言葉をひじり出す脳の通路を
太くしていくしかないのだろうと。

私は天才ではないのだから
書けば書くほどに面白く出来るように
なっていくのだろうなと。
成長は遅いかもしれないが
少しは書けるようになっていくと思います。

改めまして
投票して下さった皆様、
同じブロックで対戦した強敵(とも)の皆様、
読んで下さった皆様、
嬉しいDMを下さった方、
エントリーに際してご助力下さった方、
そして
素晴らしい機会を提供して下さった
本大会の運営管理者様
本当にどうもありがとうございます。

イグBFC5、6、7……とあるのかな?
あって欲しい!
『光あれ』とどこかの偉い誰かが言ったレベルと同じくらいの勢いで
あれ!と願います。
来年は書けるようになっておきたい。
面白いと思って下さった方にもっと笑って頂きたいと思います。

万が一なければ勝手に
#イグBFC5
で本家BFCが始まった頃に投稿しよう。
一人出場=100%優勝!とかしたら
怒られちゃうかしらん。

あ、そうだ。
◯◯文学賞を自分で作って、自分一人で応募して最優秀大賞受賞にしてハクをつける作戦ってのはどうでしょうか?

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