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キャンセルカルチャーって、、、

ここ数日、ロンドンでも猛暑が続いている。東京に比べればはるかにマシなのだが、何せこちらの家にはエアコンが基本無い。あってもぬるい風しか出ないこともしばしばで、修理頼んでも修理人が来る頃には猛暑が終わってたという笑えない、いや笑える話も多くて、日中はなるべく出歩かないようにして耐えるか、冷えたロゼでも飲んで気を紛らわすしかなく、こうなると在宅勤務万歳である。

それはさておいて、またオリンピックネタというかモヤモヤがなかなか取れない連日の開会式の演出家の辞任・解任話
30年ぐらい前に障がい者をいじめていたことを25年ぐらい前に得意げに音楽雑誌に語っていた過去を糾弾され、辞任を余儀なくされた小山田圭吾、20年ぐらい前にお笑い舞台でホロコーストをネタしていたことを指弾され、解任された小林賢太郎、以前のオリンピックのネタでさすが電通と書いたのだが今回の二人の起用もそうだし、よく考えたら某芸能人をブタ扱いしてオリンピッグって、それはアウトでしょうというネタ考えて自爆したのは電通自身のクリエイターで、仕切り役の電通もこれはもう焼きが回ったとしか言いようがない。誘致できた時点で安パイの仕事になって二線級の人材しか投入しなかったのだろうか、、、

で、勿論電通の話をしたいのではなく、表題のとおり大昔の話をやり玉にあげて批判するキャンセルカルチャーについて。
正直言えば今回の一連の話の私の第一印象は、何十年前の話をほじくり返されて大変だなというものだった。いや、意識低くてスミマセン。お前みたいな感度低いやつが日本の国際的評価を下げてるんだと怒られるだろう。

もちろんタイトル見た第一印象はさておいて、記事や過去の行状をよく見れば、小山田氏も小林氏もアウトなことをやってると思うし(電通の佐々木氏は今の話だから、さすがに私も第一印象からして論外)、昔の話だろうが何だろうがこれはダメ、ホロコーストに加担してた人は当時の価値観やナチスに感化されてから免責されるという話ではない、というのも全くそのとおり、反論の余地はない。

それでも、20-30年も前の話、お笑いネタだって観衆受けてて当時の雰囲気からすると許容されてたんだし云々、という擁護コメントもあった(ニキビより簡単につぶされていたが)。

で私はどうかというと、未だモヤモヤしている。擁護する気にはならないのだが、糾弾して辞めさせるのもどうかと感じている。
何でそう感じるのかと自問すると、結局のところ、特に小山田氏の件では、本人が障がい者をいじめていたことをネタに、今は本人がいじめられているというかネットリンチにあってるとしか見えないことだった。

批判する側は一人の人間を「障がい者いじめを自慢げに語る奴がどの面下げてオリパラの入場曲作るんだ」と集団で寄ってたかって糾弾する。おまゆうって言うお前もおまゆう、みたいなトートロジー、いや入れ子構造か。
小山田氏、これまでも批判はされてても公式に謝罪したこともなかったようだし、因果応報とはまさにこのことだから同情もしないのだが、とは言え気になるのは、糾弾する側には自分もいじめの加担しているかもという自意識が殆ど無いように見受けられることだ(一応予防線張っとくが、もちろんそうしたことも意識しつつ極めて適切に批判、指摘を行う人もいることは分かっている)。

もっと言えば、糾弾する=正義を実行、という感覚で気持ちよく付和雷同しているだけではないかと見えてしまう、だからどっちもどっちではないが、どちらにも与する気になれずモヤモヤし、そして気づまりというか生きにくい世の中になったなぁと感じる自分がいるのだ、、、

ここまで書いたら、長年のファンの橘玲氏のコラムを思い出した。さすが理論的には人間の特性としてとっくに解明されていたのね。
まぁこうなってくるとFacebookやら何やらSNSなんかで素顔さらすなんて(バイトテロみたいな極端なのでなくても)ほぼ自殺行為ということだ。
私もこんなコラム書いてたなんて、いつかネットリンチされる日が来るのだろうか、、、


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