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母が見た夢と、不思議な出来事




今日はまず、玄関内の飾りをご紹介。

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左にある白いものが綿の花です。

おととしいただいた種を無事母が開花させました。

真ん中のピンクと白の花餅。飛騨高山の、お正月用のお餅をくっつけた花に見立てたもの。

その奥はレンコンの花をドライフラワーにしたもの。

右の水仙はうちで咲いたもので、父が文字入れした湯飲みにさしています。

そして、その背後にある絵は何かというと。

美濃和紙のハッピーセット

というものです。

詳しくはこちらを参照。

1995年頃から「花鳥」と「平安絵巻」の二つの図柄が、各地のお客さまの不思議な体験とその実績から、幸運をもたらし不幸を追い出す縁起の良い絵として、特に経営者やセールスマンの間で評判になり、何時の間にか「ハッピーセット」と呼ばれるようになりました。(山根和紙の店 サイト転載)

実は、その価値がわからず、ただの絵だと思って、
長らく飾っていたのです。

が、実はこんな縁起物というか、開運グッズだったのですね。

父がもらったものなのですが、父の人生は確かに幸せだったと思うので、ご利益あったのかな。


母が見た不思議な夢


その晩、父が亡くなって以来、母が初めて父の夢を見たとのこと。

割ときちんとした服装に帽子をかぶり、愛用の電動アシスト自転車に乗り、出かけようとしている。

「パチンコ行くの?」

と聞いたら、

「郵便局」

と答えたそう。

そのあと、その自転車は、緑が広がる草原の中を、中を浮いた状態でどんどん走っていったそうです。

普通、夢って、目が覚めてからしばらくすると忘れてしまうことが多いと思うのですが、ものすごく鮮明に覚えているとのこと。

姪っ子はそれを聞いて

「じいちゃん、E.Tみたいやな(笑)」

と笑っていましたが。

夢の続きで起きた不思議なこと

私は、父親が極楽浄土に行ったことを、無事、母に報告しに来たように思いました。

郵便局=便り、の象徴かなと。

そして、その晩、

フリマアプリに長らく出品しても、なぜか売れなかった父の品物が売れました。

いいものなのですが、なんでこんなもの買ったの?
うちでは使わないじゃんというもので、さんざん私たちに怒られたのです。

ところが今朝は、じゃんじゃんイイネ!ボタンがつき、
売れてしまったのです。

そして、その品物は、
ゆうパックで発送しました。

やっぱり郵便局。

変なもの買ったお詫びに、自分で売り先を見つけて去っていったのか。

何とも不思議な話です。


供養って何のためにあるのか?


父が亡くなって以来、
お菓子、果物、買ってきたものやいただいたものは、一度、仏前に供えています。

母は毎日、お水、お茶、ご飯、コーヒーを供えています。

(どうも、生前より、父に対しての扱いがいいような気がする・・・。)

以前は、買い物に行った時に

スーパーで売っている仏花を、お年寄り(を中心として)がどうして
こんなに買っていくのかな?
とか、

どうして仏壇にみんな供えるのかな?めんどくさいのに、と思ってました。

が、自分が実際父親を亡くしてからその気持ちが初めてわかりました。

したくなるんですよね。

供養とは?


供養の供が、供える、なのはわかるんですが、
どうして養うという字がつくんだろう?
このサイトではこういう風に書かれていました。

少林寺さんのサイト

供養とは、「供給資養(きょうきゅうしよう)」という言葉を略したものです。
供給は、お供えものをする。
資養は、与えて養う。供養とは、お供えものを与えて養うという意味です。
供養という字は、「人が共に養う」書きます。

私がお供えすることが、亡くなった方を養うことになるのですね。
同時に、自分自身も亡くなった方に養われているともいえます。

亡くなった人は、(物理的には食べるわけじゃないけど)養い、
なので、ただ一方的にこっちが
食べてね、と与えるだけの行為

実際には食べないし、仏さまが食べたかどうかもわからないけど、
ただただ与える行為なんですね。

さげたものはいただけるので、実はこっちも養われている。

こんな深い意味があるとは知らなったな。

つながりを感じる行為、なのかもしれない。


食べ物を供えるだけじゃなくて、私は時々、般若心経と延命十句観音経を唱えるのですが、これもまた仏さんが聞いてるかどうかもわからない。

けど、それでもするのは、

結局、こういう行為を通じて、父とのつながりを感じたいだけかな。

生きているときのように、というより、生きているとき以上に、かな。

寂しさや悲しみを癒しつつ、新しいつながり方を感じていくプロセスが「供養」なんだろうな。

ところで!

父は月命日が29日なんですが、

2月は29日がありません。

この場合いつになる?

31日の人は?

与えたものは、いつか返ってくる


今日は、畑でとれた無農薬のイチゴをたくさんいただきました。

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父が亡くなり、イチゴ、ないでしょ、と、お供えとしていただきました。

今年はこのほかにもあちこちから、食べ物がやってきます。

大根やエンドウなどの野菜、お米も10キロとか。タケノコも来ました。

タケノコは毎年、父が、実家の山で掘っては、ご近所さんや知り合いに配っていました。

タケノコって掘るのは、めちゃくちゃ大変で、かなりの重労働なんです。

なので、私はやらない(笑)

今年は、

お父さん亡くなったからタケノコ掘る人いないね、

と、父を偲んでくださる方々が、

もらったタケノコだよ!
掘ってきたタケノコだよ!

とあちこちから、タケノコを持ってきてくださるのです。

私は、実はタケノコがそんなに好きなわけではないのですが、父の毎年の恒例行事が今年はないのが寂しく感じています。

父が掘らなくても「お父さんにいつももらってたから」と、やってくるのは、父が周りに与えたものが恩恵として返ってきていると、思って食べるようにしています。

父からは私に遺産だと渡された通帳は、残高3,000円(笑)で、遺産らしいものはもらっていませんが、代わりにいろんなものがもらえています。

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