見出し画像

引っ越し続き×一人っ子×鍵っ子の遊びはこうなった。

こんばんは。
昨日、親の転勤が理由で、引っ越しが多かった話をしました。
やす です。

嫌で仕方ない引っ越しですが、
3年に1度ぐらいの頻度で発生するイベントだったため、
泣いて地団駄を踏む様な感情表現はしなくなりました。

身体は大きくなるのに、
家はだんだん小さくなっていく。
溜まっていくフラストレーションの発散の仕方がわからぬまま、
現実逃避ばかりしていたように思います。

遊びといえば

何かをしたい!から遊ぶよりも、
暇をどうしたら潰せるか。
そんな思考だったように思います。
引っ越しが原因なの?とも言われそうですが、
習い事をしておらず、一本通った好きなものなかった。
まわりは、そろばんや野球、サッカーの習い事に通っていたけど、
生活環境の変化に気持ちが追いつかず、
習い事をしたい気にもなれず、
勉強も身が入りませんでした。

テレビ

テレビを良く観ていました。
アニメ、ドラマ、お笑い、ニュース、ドキュメンタリー、教育系、情報系、
どこかに偏らず、なんでも観ていました。

お年玉を握りしめて、
自分の部屋にテレビを買った思い出があります。
ビデオデッキも買ったなぁ。

小学校高学年で気付いたのは、
テレビ東京が好きだと言うこと。

他局と違って、しょうもないことほど本気に見えたし、
よほどの事が起きても、
いつも通りの番組を流してくれる心意気に感動しました。
自分が天邪鬼な性格かもしれない…と薄々気づいてきたのはこの頃だったかもしれない。

ゲーム

1作品をとことん極める派ではなく、
広く浅くやる派でした。
暇を潰せればそれで良い。
自分では解決できない壁ができると、
攻略本を見てやってみるけど、
上手くいかず、あきらめる。
しばらくして、もう一回最初からやってみる。
そんな子供でした。

家族でやる桃太郎電鉄がお気に入り。
その他は一人でコツコツできる系が好きで、
RPGやシミュレーションが好きでした。
RPGでは、ドラクエやファイナルファンタジー、
シミュレーション系はシムシティやら牧場物語を好んでました。
一人っ子で対戦相手がコンピューターだと萎えるので、
競う系のゲームは得意ではありませんでした。
700人程度の村に居た時、
家に友達を呼んでポケモンバトルをしましたが、
めちゃくちゃ負けてました。
(対戦前は勝てる試合だと思いこんでいた)

大学の頃になると、
挨拶の様にウィイレをしたり、
対戦ゲームをする機会が増えました。
でも、やっぱりヘタっぴでした。

いつもそばにあったから、
小学校の頃の夢はゲームをつくる人でした。
後にRPGを作れるゲームをやって、
膨大な作業量に腰を抜かして諦めるのです。

描く(塗り絵か模写)

塗り絵や絵を描くことも好きでした。
絵を描くと言っても模写です。

歌う

母がカラオケ好きなこともあり、
歌う機会は多かった気がします。
夜もヒッパレや平成歌の大辞テンを一緒にみたり、
そばかすの歌詞をひらがなで書き起こしてもらったり。

田舎での娯楽はやっぱり歌でした。
ほぼ人がいないので、田んぼに囲まれた道で歌っていました。
中・高のころも、発散としてよく歌っていた気がする。
RADWIMPSが大好きでした。
英語が苦手な分、日本語の歌詞の巧みさに惚れました。


なんだか、とりとめのない話になってしまった。
今日はここらへんで。

最後までお読みいただきありがとうございました。
スキやコメントでめっちゃ励まされています!
やす


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?