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変革を進めることにコミットするということ

企業変革を題材にではなく、「変化」を題材にしてみよう。例えば、

  • 少し体調を崩しがちであり、健康な習慣を作り、それを変えたい 例:睡眠習慣、食事・飲酒習慣の改善

  • 社会人になってから自己学習をあまり取れていないから、学習習慣を身につけられるようにしたい 例:社会人大学院に通う、副業などを行う

仮に、上記のようなことを「やるべきことだからやりなよ」と言われたからといって、「じゃあやろうか」といって、さらに言えばそれをやり切れる人というのはどれくらいいるだろうか。
結論は海の水を両手ですくって、手のひらに残る水滴程度のものではないだろうか。ほとんど実行されることすらないと思う。
自分の生活・人生にかかっていてすらそうなのだから、会社という自分よりも必死になることが稀であるような会社・企業を対象とした変化についてはもっと実行は難しいということは想像に難くない。

変革という言葉を本当の意味で浸透させるには、それが当たり前になり、むしろ変革という言葉が不要になる状況を目指さなくてはならない。ダーウィンではないが、常に外部環境に対して危機意識・問題意識を持ち、自律的に変化を遂げる生物のような組織になり、生き残っていくことが真の成功と私は考える。
ただ、これは単に理想の絵でしかなく、その当時はエクセレントと言われ、この理想ができているのではないかと見えていた企業ですら生き残れていないというのが現在の世の中の実情であるように思う。

そうした難題に本気で向き合うことが変革のなのだと思う。
また一方で、私自身に主語を持ってきた時、本当の意味で変革が完了するという場面に直面することもないのだとも思っている。さまざまな方便が必要なので、組織や組織人としては目標を達成することで、完了に近い表現をすることはあると思うが、ここ数年の自分の役割を思った時、変革をやり切るのではなく、私たちのような「薬」がなくてもその先の変革を健全に推進可能なモメンタムを作るということが私(私たち)の役割だと考えている。そして、その変革プログラムに関わったさまざまな人たちが、自分の思う変革をいろいろな場所や場面で推進していき、エコシステムが作り上げられれば良いと思う。

この役割にコミットするということは、個人のポリシーとしては大きな果実を刈り取ることよりも優先せねばならないことがある。あるとき成果とそれは矛盾する。
実はどちらの選択肢を取っても、自分のキャリアには生きるのかもしれない。トラックレコードには変革を推進したことが記録されるからだ。
しかし、私は将来(10年後やもっと先)に自分を指差して、「あの人は本物だった」と言われるために選択肢を間違えることをしたくない。仮に業績や成果によって短期的に私の評価が悪くなったとしても、本当の変革のゴールに対して確実に進捗したと言える方が良い。すなわち、たくさんの人に、変化を届ける(私たちの「推進」とはそういうことを意味すると思う)ことができることの方が良い。そこから数字が積み上げるのはロジックであり、その変化がいいものであれば、数字もさることながらそれ以上に「意味」を作ることができるだろう。

会社につけられた「名札」という役割にとらわれず、私は会社という枠も超えて、関わった多くの人たちと一緒に、悲しさや苦しさを感じる社会から、仕事が楽しく前向きにやりがいを感じられる豊かな世界を実現したい。まずはここでそれを実現することが、一つの証明にできれば良いと考えている。

私の心の中に閉じるのではなく、世界に向けて宣言します。
それが私が今、変革を進めることにコミットしているということです。

最後に、やはり理想や目標を高く持ちチャレンジし続けるということで、そのギャップの大きさ=課題に直面し続けていますが、しっかり頑張っていきたいと思う。

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