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その研究役に立たないよね

先日こんなツイートをしたら思いのほか反応があった。

僕が就活をしていたころは、前年にシャープが鴻海の子会社となり、東芝が不正会計問題で色々と世間を賑わせるなど、「日本のメーカー大丈夫か?」という印象を持っていた中で起きたこの出来事は僕にとって悲しいものだった。

これが仮に技術のことなんか何もわかりませんという人事の言うことであれば別にそこまで気にしないのだが、このときの面接官は技術職の社員ふたりだった。

もちろん、僕の研究が役に立たないから落とされたかというとそうではないと思う。面接の総合的な評価の結果僕は落とされたのだと思う(とは言ってもたかが20分の面接で半分くらいは”役に立たない”研究の話をしていたのだから、それで何が判断できるのか甚だ疑問でしかない)。

物理の基礎研究をやっている人からすると、「自分の研究は役に立つのか」というのは難しい問いの一つで、一度は研究室で議論にもなるテーマである。就活をする学生にとっては、質問に答えられるように準備をすることは必至だ。

もちろん自分の場合も準備をしていたし、面接官の「その研究は何の役に立つの?」という質問に答えた後にあの発言は飛び出したのだった。

僕の答えがよくなかったのかもしれない。でも、

基礎研究が社会にどう役立つかを実用的なレベルで語るのは至難の業である。

少なくともその面接官が満足するような答えを用意することは僕にはできなかった。

例えば超伝導などの実用化の道筋が見えやすいテーマももちろんあるが、一般に基礎研究というのはそのような道筋は見えないものが多い。たいていの場合、「こういう分野でこういう形で役に立つかもしれない」とか、あるいは本来の研究の目的とは離れて、「こういう技術を使っているので御社のこういう技術と親和性があります」といった具合に落ちつきざるを得なくなる。嘘はつきたくない。


面接で重要なのは何か

面接で研究の内容を聞くのは、その人の研究への姿勢であったり、説明能力を見ているものと思われる。でも、あの面接では、研究がどう役に立つのかとか、それによって会社にどう貢献できるのかみたいなものを重視して見られている気がしてしょうがなかった。

即戦力を求めているのだろうか?

一つ疑問に思うことがある。博士課程卒の人を即戦力として受け入れるのはまだわかるが、修士課程卒は2年か3年しか研究していない。それでも会社(製品)とその人のマッチングをそこまで気にする必要はあるのだろうか。

日本のメーカーの多くはおそらく終身雇用前提で採用をしている。その長いスパンで見たときに、大学で研究していた2年3年が必ずしも有利であるとは思えない

実際に実務経験を積むことでよりその会社に適応したスキルを身につけることができるし、自分のように物理を学んだ者は工学を理解するための基本的な部分はすでに深いレベルで知っている場合も多いのではないだろうか。

社会の役に立たない研究をしている学生は採用活動にマイナスに作用するのだろうか。


基礎研究は役に立たないのか

基礎研究は社会の役に立たないのか?

この問いへの僕なりの答えは次のとおり。

「今すぐ、あるいは近い将来役に立つことはほとんどないでしょう。でも、少なくともその学問は進展し、その後広がりを見せる中で将来役に立つ技術の礎になることは大いにありえる。それが10年後なのか100年後なのかは知らんけど」

ここでかのファラデーの言葉を引用しよう。彼は19世紀に電磁誘導を発見している。当時の財務大臣であったウィリアム・グラッドストーンが「電気にはどのような実用的価値があるのか」と問うと、ファラデーは次の言葉を返したと伝えられている。

「何の役に立つかはわからないが、あなたがそれに税金をかけるようになることは間違いない」

その後電磁波が発見され、今現在の情報社会を支えていることは周知のとおり。

ある発見があったとき、その発見が何の役に立つかはわからなくても、将来世界を変えるレベルで役に立つことはあり得てしまう。

予測できない将来のことを考えると「その研究は役に立たない」なんて断定はもはや誰にもできない。きっと今使われている技術の基礎になっていることも、当時何の役に立つかわからないものばかりだったはず。

物理や数学では、全く違う分野の知見が活かされて発展するということもよくあること。何がどうつながるかなんてわからない。


役に立たなくてもいいか

一方で、「役に立たなくてもいい」という立場で研究することが難しいことも知っているし、それではいけないことも承知している

研究者は国からお金をもらって研究するから、国に研究を認めてもらわなくてはいけない。国からしたら役に立つ研究にお金を出したい。

この問題は今後日本にとって重要なテーマであると思う。

科研費とかの事情は詳しくないので、今回は2016年ノーベル医学・生理学賞を受賞した大隅良典教授の言葉を引用する。

「『役に立つ』という言葉が社会をダメにしていると思っています。科学で役に立つということが、数年後に企業化できることと同義語みたいに使われているのは問題。本当に役に立つとわかるのは10年後かもしれないし、100年後かもしれない。将来を見据えて、科学を一つの文化として認めてくれるような社会にならないかなと強く願っています」


肩の上で謙虚に

「その研究はどう役に立つの?」

別にこれは素朴な疑問として何も問題はないと思うけど、「役に立つ」ということに気をとらわれすぎてほしくないよね、という話。

面接の場で学生に対してちょっと嘲笑うかのように「その研究役に立たないよね」って言った真意は全くわからないけど、基礎研究をおろそかにするような姿勢は望ましくないと少なくとも僕は思ってしまう。

僕らが普段便利な生活を送れるのは巨人の肩の上に立っているからだという謙虚な姿勢は忘れずに生きていきたい。



(今もこの企業の製品は使っているけど、次買い替えるときは別の企業のを買うつもりです)

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