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責任のない自由は崩壊しかない

おはようござます。
僕がエビマヨにハマってから明らかにエビマヨが店頭にないことが増えていると思っている坂口です。
#これは自意識過剰

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今日は「自由ってなんだ?」というテーマで書いていこうと思います。
完全に日記になると思うので、先に謝っておきます。
#さ〜せん

『自由=何でもいいなのか?』


僕たちは、「自由」をいつだって求めます。

選択肢があって、自由OR不自由で、「じゃあ不自由で!」という人もなかなかいないのではないでしょうか?
#いたら 、ドM

さて、今日のテーマなんですが、本当に自由が幸せなのか?ということ。

例えば、

この世の中に「警察がいなかったら?」を考えたことがありますか?
考えたことのなかった人も一度考えてみてください。きっと、どうなるかは容易に想像できると思うのですが、そこに待つのはユートピアではなく、地獄です。

その理由も明確で、「警察がいない世界が自由だ」と思う人たちが作る世界で生きることになります。

なぜ警察がいらないのか?というと警察がいた方が都合が悪いと思ってしまうからでしょう。

このように「ルール」とかうざくね?生きにくくね?と思っているところに、ルールがなくなれば、「自由だ!」となりますが、その世界はサバンナの動物化されるしかありません。
#怖くて 、寝るのも容易ではないと思います。

でも、今の時代をみた時に、サバンナ化してるのに気づきませんか?
インスタのフォロワーの数やYouTubeの登録者の数。

そして、それを稼ぐためにギリギリのラインを攻めたり、人気にあやかったり、人気者を叩くことで注目を集めて、自分の認知に替えて行ったり。

それ自身が悪いとは思いませんが、そのインフルエンサー界の競争は足の引っ張り合いの文化ですが、それがその場の「文化」であり、ルールです。

さて、ここからが今日の本番になるのですが、今日は「文化」についてお話ししていきます。

この間、天川村に下見に行きまして、当日泊まるコテージの方とも少しお話をしてきた時の話をさせていただこうと思います。

大阪から車で2時間くらい?かかったのですが、シンプルに車でも、「クソ遠い」というのが感想でした。
#口は悪い

僕は色々な人とあったり、場所に行くのが好きなのですが、その理由は、
その土地特有の「文化」に触れるのが好きなんです。

都会で生まれ育った子には、都会のルールで生きていくのが文化で、
田舎で育った子には田舎のルールで生きていく必要があります。

僕は田舎の高松市で育っているので、大阪や福岡や東京に住んでみたときに、自分の田舎さに気付きました。

そんな感じで、その場その場での「文化」というルールは存在します。

そして、話を戻すと、天川村のルール(文化)とは、高校生になったら、
「村を出る」というルール(文化)があるみたいです。

理由は

「高校がない」
「仕事がない」

ですが、お父さん(コテージのご主人)が話してくれたのは、
「僕の子供も、僕らも、僕らの親父たちみんなそうなので、寂しくはないですね。」と言っていました。

脈々と受け継がれる、「文化」が作った絶景こそが、あの満点の星空なんだと思います。

もし、「天川村を開拓して、便利にしよう!雇用を作ろう!」となってしまうと天川村の良さが消えてしまします。

自分の「文化」に一度目を向けてみてもいいかもしれませんね。

そんなこんなで坂口靖彦でした。

ばいちゃ〜


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