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ひとつ寂しさを抱え僕は道を曲がる

先日、母の一周忌を終えた。

母の命日である6月10日から丸一年が経ったわけだが、本当にあっという間だと感じる。

母を見送ったあの日から、自分の中に存在する時間の一部が止まってしまったような感覚でずっといる。

数年前の出来事を思い出そうとする時、無意識に母の命日を起点として考えてしまう。

母に関係のないことを思い返す時でさえ、「あの時はまだ母さん元気だったよな」とか、「この一週間後に亡くなっちゃったんだよな」とか、そんな具合に母の命日が常に頭の片隅にある。

自分が今まで歩んできた道のりに、母の命日というアンカーが深く打ち付けられ、抜ける気配もないそれの前でただ呆然と立ち尽くしているような日々がずっと続いている。



母が亡くなってから毎日と言っていいほど聴いている曲がある。

米津玄師の『地球儀』という楽曲だ。

この曲が主題歌を担った宮崎駿監督映画「君たちはどう生きるか」が米アカデミー賞を受賞したのは記憶に新しい。

母が亡くなってから一ヶ月ほど経った頃に公開されたこの映画を見た時、何か運命めいたものを感じざるを得なかった。

というのも(ネタバレ注意だが)、冒頭で主人公が母親を亡くすシーンから始まり、全体を通して"母親の喪失"がこの映画の根幹となっていたからだ。

亡き母親を思う主人公に対して客観的ではいられないシーンも多々あった。総じて、このタイミングでこの映画に出会えたことに何か大きな意味があったように思う。

そして主題歌である『地球儀』という楽曲は今でも本当に心の支えになっている。

どこを切り取っても美しくて魅力的な歌詞なので解説に困るが、特に身に染みたサビの一節を紹介したい。

風を受け走り出す 瓦礫を越えていく

米津玄師『地球儀』

この歌詞については米津自身がインタビューで、ヴァルター・ベンヤミンという思想家の『歴史の概念について』第九テーゼの「歴史の天使」という詩からインスピレーションを得たと語っている。

詩を要約すると、翼を広げた天使が後ろを向いて瓦礫の山を眺めており、その瓦礫には死者たちが埋もれている。天使は、なろうことならそこに留まり、瓦礫に埋もれた死者たちを蘇らせたいと願うが、絶えず向かい風が強く吹きつけていて、広げた翼を閉じることができない。そうして風に煽られながら、段々と瓦礫の山から遠ざかり、前へ前へと追い立てられる。この風こそが私たちが進歩と呼んでいるものである。という詩だ。

この一節は今の心情を恐ろしいくらい言い表している。
立ち止まっていたはずの自分も、否が応でも時間の流れには逆らえず、気が付けばあの日から一年先の未来に立たされている。

いくら寂しいと嘆こうが、生きている限り道は続いていく。道が続く限り、私たちは前へ前へと進んで行かざるを得ない。

でも今は、寂しくてもいい。きっと、遠い道のりの先で会いたい人は待ってくれている。

寂しさを抱えて、僕は道を曲がる。



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