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岡上淑子「沈黙の奇蹟」展が素晴らしすぎたという話

こんにちは、氏家(@yasu42 )です。
構図の記事はいかがだったでしょうか。幸いにしてnoteのおすすめにも取り上げていただいたようです。ありがとうございます。わずかなりとみなさまのお役にたてたならば幸いです。

次は世界観についてのnoteを準備していたのですが、つい先日訪ねた展示、「岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟」展が素晴らしすぎたので急遽そちらについて語らせいただきます。

ーー岡上淑子。
この名前だけでピンとくるのは相当な美術好きの方でしょう。

詳細については高知県立美術館のページなどをご覧いただきたいのですが、ざっくり言うと、1950年代に独学でコラージュを開始、かの瀧口修造に見出され美的世界を深めていった作家ですね。作家としての活動は10年に満たないものでしたが、その確立された世界観は他に類がなく、今もって色褪せることがありません。

その岡上淑子をフィーチャーした展示が東京都庭園美術館にて開催中というわけなのですが、結論から言いますと、万難を排して行くべきです。

とにかく世界観が強すぎる。
フォトコラージュ展と銘打たれているようにコラージュ作品が中心なのですが、一枚一枚すべてが精緻な小宇宙を構成しています。完成された「ちいさなせかい」が次から次へとやってくる感覚はちょっと類を見ないものでしょう。本noteの読者には写真を撮る方が多いと思いますが、もしあなたが世界を作り込むタイプならば必見だと言い切れます。

……少し先走りました。
以下、本展示を訪ねるべき3つの理由について述べます。

1:圧倒的な世界観
2:東京都庭園美術館という環境
3:猛烈なまでのエネルギー

このような構成となります。
しばしお付き合い下さい。

1:圧倒的な世界観

繰り返しになりますが、岡上淑子の作品は強靭な世界観を有しています。一枚一枚がそれ自体として成り立っている、とでも言えましょうか。
こればかりは論より証拠、実際に見てみましょう。

今回唯一撮影可能だった「幻想」をご覧ください。

この一枚で岡上淑子作品の特徴、いわば「画風」はおわかりいただけると思います。アンティークな洋室に当然のように居座る馬、鏡から飛び出すというシュールな有様の馬、白いドレスで横たわる馬頭の女、本来ならいずれもが異物であり、排除されてしかるべき存在でしょう。
だというのに、ここには確かな調和がある。明確な秩序が画面の中に厳然として存在している。言い換えると、異物と異物が互いに結びつき一つの世界を構成しているのです。

この世界が持つ説得力は強い。とにかく強い。
実際に私は、作品の前で幾度となく立ち尽くしてしまいました。これだけ個性的な作品群となれば様々な解釈を持ち込むことは出来ましょうが、そのようなものは後付け、何よりもまず、世界に圧倒されるという体験がやってきます。そこに、本展示の大きな魅力があると言えましょう。

なお、展示会場である東京都庭園美術館は原則として撮影禁止。
本展示もその例に漏れず、上の一枚以外は撮影不可となっています。よって、以下の画像は展示されていたものではなく、図録からの引用です。ご了承ください。

代表作の一つ「夜間訪問」。
舞踏会を思わせる装いに、異形の頭というイメージの鮮烈さ! 目にした瞬間の印象の強さは類がありません。周囲を囲む傘と、これから「彼女」が訪ねるであろう館のたたずまいも素晴らしい。無限にドラマが想像出来ます。

こちらは「室内」。これまたイメージの凝縮とでも言うべき一枚です。
典雅な印象を与える「夜間訪問」とはうって変わり、近代的かつ理知的、シルクハットの一眼などどことなくルネ・マグリットを彷彿とさせます(シュールレアリスムの影響を受けていることを考えれば当然かもしれませんが)。「夜間訪問」同様、頭部のすげ替えが行われているのも興味深いですね。

語っていくときりがないので上の二つに絞らせていただきますが、とにかくどの作品も素晴らしい。繰り返しになりますが、今すぐにでも行くべき、というのが本音です。

幸いにして開催は四月までとまだ余裕があります。
皆さん、次の休みには東京都庭園美術館に駆けつけましょう。

図録もamazonで販売しております。遠方の方はそちらをどうぞ。

2:東京都庭園美術館という環境

本展示の開催地は東京都庭園美術館です。

そう、東京都庭園美術館といえば知る人ぞ知る名美術館。前身は旧朝香宮邸、アール・デコ様式の粋を尽くした昭和初期の傑作建築ですね。明治〜昭和初期に建てられた洋風建築には優れたものが多いですが、その中でも有数といえましょう。

外観だけで溜息をついてしまいます。
内装の写真を出せれば良いのですが、東京都庭園美術館は基本的に撮影禁止。是非、ご自身の目で確かめていただきたいところです(ストリートビューでもその一部を見ることが出来ます)。

庭園美術館の名のとおり、庭園も有名ですね。芝庭、日本庭園、西洋庭園の3つからから成っています。敷地も十二分に広大、都心とは思えないゆったりとした時間を過ごすことが出来るでしょう。

椅子だけでこのフォトジェニック感です。

少し早い春の訪れもありました。
桜の名所でもあり、春先には是非改めて訪問したい庭園ですね。

なお、東京都庭園美術館は常設展示を持ちません。旧朝香宮邸と内装そのものが美術品であるがゆえです。定期的に企画展示を行っており、「沈黙の奇蹟」展もその一環ということになります。

これらの企画展示は例外なく良質であり、満足出来ること請け合い。展示抜きで訪ねても、建物や庭園の魅力に酔うことが出来るでしょう。土日の混雑もそこまでではなく、個人的に一押しの美術館です。皆様次のお休みには是非。

3:猛烈なまでのエネルギー

ある意味で、本展示を訪ねるべき最大の理由かもしれません。

最初の項目で述べたように、岡上淑子の世界観は圧倒的です。私たちは優れた作品を見ると安易に「センス」と言ってしまいがちですが、正直に言って、小手先のセンスでどうにかなるレベルではない。やむにやまれぬ世界観の発露、とでも言うべき何かです。

その世界観を裏打ちしているのはおそらく、膨大なエネルギーです。

考えてみてください。岡上淑子が創作活動を行ったのは1950年代、現在と比べてはるかに封建的だったと言わざるを得ない時代です。特に当時、女性の置かれた社会的状況は決して良いものではありませんでした。彼女を見出した瀧口修造からして「お嬢さん」扱いだったのも確かなようです。当時の社会的文脈において、若い女性が作品を造り上げ、世に問う。それだけで多くの障害があったであろうことは想像に難くありません。

そんな中において、これだけ多数の作品を、そしてこれほどのクオリティで生み出し続けるにはどれほどのエネルギーが必要だったことか。

結局、すべては情熱です。
技術も、経験も、知識も、才能すらも、情熱がなければどうにもなりません。情熱とエネルギーをもって実行に移さなければ、どれほどの素養も埋もれたままになってしまう。形にして、世に問うて、はじめてスタートラインに立つことが出来る。そんなことを痛感させてくれます。

もしあなたが、情熱を持て余しているなら。
自分が何を撮りたいのか、どんなことをしたいのか迷っているようなら。
そもそも、何をしていいのかすらわからないなら。
本展示がその答えを見つけるきっかけになるかもしれません。

……以上、長々と述べてきましたが、私の言いたいことは一つです。

「沈黙の奇蹟」展は絶対に行っておきましょう。

本日はこのあたりにて。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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