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なぜなぜ分析の危うさ

こんにちは、ヤッシーです。一昨日あたりから暖かくなってきていますね。花粉症持ちとしては厳しい季節です笑

さて、今日は「なぜなぜ分析」について書こうと思います。社会人の方なら一度は耳にしたことがあるかもしれませんね。

なぜなぜ分析

なぜなぜ分析とは何か?ということですが、これはある課題や事故に対して「なぜそれが生じたのか?」という問いを繰り返すことでより根本的な改善・解決に至ろうとする方法のことです。トヨタ発祥のようですね。

手順として、発見された課題に対して複数の要因を検討します。課題はなるべく単純明快にしておくのが好ましいとされています。課題が生じた要因は課題と論理的な結びつきが必要なので、「こんな感じ」ではなく、「AがBになったから課題が生じた」などという論理が必要です。

「危うさ」とは

あたりまえのことですが、「なぜなぜ分析」はあくまで一つの手法なので、これだけで解決できる課題は多くはありません。しかし、今回考察したい「危うさ」はそこではありません。

課題を検討する際に、担当者の責任追及になってしまったことはありませんか?例えば、「納期に間に合わなかった」を分析した際に、「連絡が遅れた」「取りまとめがうまくいかなかった」といったように人間を中心とした分析になってはいませんか?

私はここに違和感を感じます。人間みなヒューマンエラーを起こします。それを基準にしていては「人が変わる」という結論にしか至りません。(成長は必要ですが)

では、どうするか?

じゃあどうすればいいんですか?という問いに私なりに答えを提示したいと思います。それは「定量的な検討を行うこと」です。

定量的って何よ、という話ですが、これは数字を取り扱う専門の人はそこそこ聞いたことがあると思います。つまり、数字で表せるもののみ検討する、ということです。

類似した言葉に定性的というものがあります。これは「ちょっとおおきくなった」とか「わずかに減少した」といった、見る人によって思い浮かぶ変化量が異なる言い方です。性質は表しているが程度はわかりません。

定量的な検討の良いところは「客観性が高い」ことです。そして、人間の中身って定量的な判断ができないことが多いです。(100%怒った、といわれてもよくわかりませんよね笑)

最後に

もう少し具体例を示せるとよかったのですが、すぐには出てきませんでした...

今回お話したような話は、会社のみならず人間が集まった組織ではよく起こる話であると思います。だからこそ、重要な部分は機械やシステムに頼ることを考えなければならないでしょう。

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