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【マネジメント】失敗したと思う話

最近、「今までで失敗したことは?」と聞かれることが増えました。

だいたいその場で思い浮かばずあんまり実のない話になることが多いので、思い出したことを書きだしておこうと思います。
また、学生や若手でマネジメントに接する方々の一助となれば幸いです。

そういえば、マネジメントに関わり始めて10年くらいになったなあと感じ、大学生時代を思い出しました。当時、CREATEというロケットサークルで代表をやっていました。学生ロケットはおおよそ年3回開催される共同実験に参加します。この中でも能代宇宙イベントは最大で、私たちも実験に向けて準備を進めていました。

学生ロケットのほとんどはハイブリッドロケットという方式を使いますが、打ち上げ実験までに燃焼のみの試験が必要です。これは割と場所を選ぶのでなかなか都内では実施できず、宮城の山奥で実施しました。この時、サークルで2台の車を出して物品や人を運んでいました。

燃焼試験は無事成功しましたが、問題は帰ってきてからの定例会でした。

定例会である一人から
「試験の帰りについて計画/対応に問題があったのではないか」
という問題提起がありました。
実際、話を聞く限り問題があるように感じたことを記憶しています。そこには計画をした人もおり、また個人攻撃のような雰囲気もあったことを覚えています。

そこで私が発した言葉が「水に流してくれ」でした。

もちろんその前後には状況の把握やそこに至った考えを聞くことはしていましたが、その場以外で話を聞いたりということはありませんでした。各個人に話を聞いて改善に向かうこともできたのではないか、今はそう思います。

ではなぜそういった発言に至ったのか?
いくつか思い浮かぶものを検討してみます。

①対応する自信/能力がなかった、ないと思っていた。
②一刀両断することが代表の仕事だと認識していた。
③決められない/解決できないことに焦りを感じていた。

1つずつ見ていきましょう。

①対応する自信/能力がなかった、ないと思っていた。

この時に提起された問題は、理屈半分感情半分という構成で、理屈が重視されがちな大学の環境ではなかなか表出しないものでした。また、それもあってか自分にも「理屈が通っていればみんな納得する」といった誤った認識があったように思います。それが故に、感情の部分についてどのように対応すればいいか見通せず、思い切ってしまった面は否めません。

②一刀両断することが代表の仕事だと認識していた。

日本人には割と希薄な気もしますが、おそらくこの頃の私には「強いリーダー」といったロールモデル・理想像があったのだと思います。
個人的な信条ではありますが、短期的・大人数の場合、例えば上記の能代宇宙イベントで100人に指示をするといったときには、単純明快・強いリーダーというのが必要であると思っています。ただ、サークル活動も仕事も1か月や半年ですべてが終わるわけではありません。そういった観点が欠落していた結果、「水に流す」という誰にとっても得にならない、次につながらない対応になりました。
また問題提起したのが後輩だったこともあって、力技になったということも考えられます。これは場合によっては会社や他の組織でも起こりえることかもしれません。

③決められない/解決できないことに焦りを感じていた。

定例会は各担当(ロケットだと構造・電装・燃焼といった具合に分かれています)から進捗や今後の予定が発表されます。大学生ですから、講義が終わった夕方から始めることになります。いくら大学だからと言っても、数時間の実施が限界です。そうなると限られた時間の中で決めることは決めなければなりません。そういった時間的な焦りがあったかもしれません。
また、②で上げた理想像と照らし合わせるて、解決できない自分に焦っていた可能性もあります。
今は「場合によって決まらない/決めないほうがいいものもある」という考えですが、当時は「何事もその場でなるべく早く判断しなければいけない」そういった焦燥感があったがゆえに、こういった結果に至ったのでしょう。

最後に

今でも相変わらず「マネジメント」と呼ばれる立ち位置で仕事をしています。10年たった今でも何が良くて何が悪いかわかりません。
しかし、自分や組織の目的からなんの要素のどういった基準で判断するのか?ということを考えていることが多くなったように感じます。
また10年たてば違った意見になっているかもしれませんが、学生から社会人になるという大きな変化の中で生じた「マネジメント」に対する考え方の変化は大きいものなのだろうと予想しています。

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