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自分で自分の感覚に敏感になる。

何をしている時に一番心がワクワクするかということは、自分自身がどう生きたいのかということの道筋になると思います。
ところが何をしている時に一番心がワクワクするかということそのものがわからないという人もいます。そのことについて私なりにちょっと考えてみました。
私自身、「何してる時が一番ワクワクしますか?」と質問をされたら、おそらく「旅行している時」とか「何か新しい気づきがあった時」とか「本当に美味しいものを食べた時」とか「愛を感じられる行動行為に触れた時=その人の魂の本質に触れた時」という感じに答えるのではないかなと思います。

でも同時にこんなことも思ったのです。
旅行している時でもワクワクしない時もあるな、と。

もっと深いところでワクワクする時を見つめてみるとこんな答えが出てきました。
魂が震えるような感覚がないとワクワクしないなぁ、と。
では魂が震えるような感覚ってどういう時だろう?と、今までの体験を思い出してみると、そういう時間ほど時間の感覚がないように感じます。
「時間を越えた時間」とか「深い時間」と言えばいいのかも知れません。
人生とはすなわち時間そのものです。
どんな人生を過ごしたいのかということは、どんな時間を過ごしたいのかということと同義です。時間には(人生には)限りがあります。
できるだけ深い時間を感じて過ごして生きていきたいというのが、私自身の願いです。同時にそれは人間共通の願いであるようにも感じられます。

ではどうしたらより良い時間を(人生を)過ごせるのかと問われれば、自分が意識するものを自分自身が「本当に心地いい」と思えるものにフォーカスし続けるしかありません。
与えられた環境(=自分が過去にみずから選択した環境)で、どこに意識を向けていくのか。意識的にポジティブに物事を見ようとする癖をつけていかないと時間は(人生は)無駄に過ぎていってしまいます。
自分と向き合うとか、内側を見つめるとか、内観するとかということは、要するに、自分の意識するものをどう心が捉えるのかということに自分自身が意識的に敏感になるということです。その感覚はとても微弱なものですし、その時にはわからず振り返った時にそういう時間だったなと感じることもあると思います。

自分で自分の感覚に敏感になる。心も体も。

心の声とか体の声とかよく言いますが、とにかく自分自身の思考ではなく、感じるセンサーを磨いていかないと、不快なものではなく快なものに反応するように癖付けていかないと幸せや豊かさは得られません。
本当に、心の時代なんだなと最近実感しています。
本当に、世の中は二極化したんだなと実感します。
今しばらく、自分の内側を整えていく時間は必要な感じがします。まだまだ古い価値観や観念に縛られている意識の癖があります。それでもまだ起きてもいない妄想に怖がっている自分が薄くなるにつれて、不思議と私は大丈夫という根拠のない自信が湧いてくるからおもしろいものです。しかもそれは私はひとりじゃないというなんだかよくわからない見えない繋がりのようなものさえ感じられてくるのです。
時間を越えた時間を、深い時間を求めて、これから新たな人生の旅、本当のスピリチュアルジャーニーが始まろうとしている感じがしてます。
誰の人生にも。


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