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変容中につきカオス状態を通過中です。

書くということは、私にとって、癒しであり自分と繋がる方法のひとつだが、何も書くことが思い浮かばないということがある。
同様に、人と話す、ということも書くことと同じように何も伝えるべき言葉が浮かばないことがある。
こういうことが誰の身にも起きることなのか、わたしだけのことなのかは知る由もないが、今がその状態なのだ。
なのでここに綴ることは大した内容はない。ただなんとなく湧いて出てきている自分の感情を吐露しているだけに過ぎない。

ひとつには自分が持っているパソコンがもう古くなったのか、かなり限界を迎えている。なんだかんだ7年くらいは使っているから仕方ないのかも知れないが、新しいパソコンを買うほどの余裕もなく、なんとか頑張ってもらっている状態だ。
動きも悪く、時々フリーズしたりブラックアウトしてしまうので、noteで長めのテキストを綴るのも遠のいている感じだ。
パソコンのせいにもしていられない。わたし自身の環境の変化、内側の意識の変化などがここ最近続いていて、それが今までにないスピードで動いているので順応しきれておらず、落ち着いてnoteを書くモードにならないのだ。

ふぅ。

眠りから覚めたばかりの森の熊さんが、目覚めてみたらあたりが一変していて対応できずに右往左往している状態だ。これが風の時代のスピード感なのかも知れない。久しぶりに頭痛がするくらい、目まぐるしく動いている。
とはいえ、それをどこかで俯瞰して見ている自分がいて、流されるままに抵抗することなく起きることに一喜一憂することなく流されてみればいい、と私の別の意識が告げている。

あまり間を開けずに何かを書かなくては、と焦る自分がいる。
一方で、書きたい時に書きたいことを書けばいいじゃいないか、となだめる自分がいる。
話すことも同じで、なにか言葉を発しなければ、と焦る自分がいる。
一方で、話したい時に話したいことを話せばいいじゃないか、となだめる自分がいる。

ねばならない、という意識があることにふと気づく。この意識の在り処はどこだろう、と心の内を見つめてみると、不安、なのだ。
失うことへの不安、繋がりが消えてしまうのではないかと感じる不安。
でもそれは幻想であり、私のネガティブなビリーフゆえの思い込みだ。
結局、自己信頼という課題に取り組んでいるのだな、と冷静な意識になるとわかるのだが、本当の自分と繋がるため、取り戻すための意識改革の途中なのだ。

今自分自身に起きていることが、自分自身の意識の反映であり、それはもっと高い視点で見てみると、天体の影響も多分に受けているのだな、と感じる。だからこそ、流されるまま抵抗することなく流されてみる。やれることはすべてやって、あとは自分自身を信頼して流されてみる。たぶん一番楽な生き方に、本当の自分を生きるという生き方に、切り替えようとしているだけなのだ。

今の慌ただしく気忙しいカオスの先に広がっている世界を楽しみにしながら今を大事に生きていこう。握っている手を離せばいいだけ。不安は幻想。すべてはうまくいっている。

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