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継承する。命のリレー。

もうすぐ2020年の夏至だ。早いもので今年も半分が過ぎようとしている。
季節外れだが、寒い冬の北海道に出掛けた時のことを綴ろうと思う。
ハワイ好き、暖かいところが好きな私が寒い冬に好んで出掛ける場所ではない。でも出掛けなければいけない理由があった。

その日の早朝、空港へ向かうバスの中から美しい朝陽を拝むことができた。
ハワイではサンライズを見るために出掛けることはあるが、日本で朝陽を拝めるなんて思っていなかった。
幸先いいな、幸せだな、やっぱり太陽のチカラってすごいな、なんてことを思いながら写真を一枚。不思議だよね、なんかパワーをもらえた。

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北海道に行く理由。それは父方の祖父に会いに行くため。
祖父はもうとっくに他界している。父親もすでにこの世にはいない。
おじいちゃんのお墓参りなんてことは決して珍しいことでもない。
でも私にとってこのお墓参りは先祖から脈々と繋がる霊的なラインを結び直しに行くための、いわば「儀式」だったのだと思う。

実は私はこのおじいちゃんに会ったことがない。
2年前に他界した母親でさえ、数回しか会ったことがないと言っていた。
実はこのおじいちゃん、当時にしてはかなりハイパーな人柄だったらしい。
お酒を飲むと表情が一変し酒乱で暴れ出し、父がまだ若い頃に女を作って家を出ていったと聞いている。

行きついた先が北海道芦別市というところ。
以降、私の父はこのおじいちゃんのことを嫌だったため、絶縁状態。
当然、私も生前に会うこともなく、悪い話だけ聞かされていた。
そのまま命果てるまで、息子である父とも会わなかったようである。

おそらくこのおじいちゃんは生まれてくる時代を間違えてしまっただけなのだ。きっとすごくすごく繊細で寂しがり屋で、だけど強がりで本音を言えない(言えるような環境じゃなかったのかも)人だったのかも知れない。
だからこそ、酒に、女に、走ってしまったのではないだろうか。
悪いところしか幼い頃に聞かされていなかったので、それをそのまま鵜呑みにしてしまっていたが、実は本当のところは親が言うほどのひどい人じゃなかったんじゃないだろうか。
ふと、そんなことを本当に直感的に感じた出来事があった。

私も精神的に極限まで追いつめられると、激しく激昂する。
自分で自分が制御できないほどに、怒りに震え、表情が一変する(らしい)。まったく違う人が乗り移ったみたい、と言われることもある。

でもこの一言で、感じた、のだ。

もしかしたら私はこのおじいちゃんの気質を受け継いでいるのかもしれない、と。

おじいちゃんが眠っている土地は札幌から少し北へ行った石狩にある。
それを知ったのも実は父が他界した後10年以上経ったある日のことだ。
実は私の父は私に先祖代々のお墓の場所、そしてこの祖父のお墓の場所など一切知らせずに他界してしまった。
父の生前、私と父の仲が悪かったわけではない。でも父からは何ひとつご先祖様について知らされていなかった。
きっと父には父の都合があり、おじいちゃんのこともあったので、親戚から疎遠になっていたこともあるのだろう。

21世紀になる直前、父が突然他界した。65歳。
寝ている間に脳の血管が破裂したのだ。
前の日、不思議なことに父に電話をしていた。それが結局最後の会話。
内容は覚えていない。そんな大したことじゃないし、まさか翌日に死ぬとは思っていないからとりとめのない話だったんだと思う。
でも父は突然他界した。
突然の出来事だったから、ご先祖様のことなど伝えることもなかったのだ。

知らされることのなかった石狩に眠る祖父のお墓をどのようにして知ることになったかを話したらすっごく長くなるので割愛するけど、とにかく「不思議な出来事」が起こり、運命的に祖父のお墓の在り処を知ることになった。

私が今ここにこうして生きているのは、当たり前だが、両親がこの世に存在してくれたから。そして両親も、そのまた両親がこの世に存在してくれたからに間違いはない。
私が今ここにこうして存在しているのは、先祖代々受け継がれてきた血のリレー、DNAのリレーを絶やさなかったからだ。
実際に交流できる先祖は数少ない。交流できないご先祖様たちのほうが圧倒的に多い。
いま生きている私たちはその人たちの「想い(良かれ悪しかれ因縁という人もいる)」を受け継いで今に生きている。
お墓参りするということでしか向き合えない、触れ合えない、繋がらない「何か」がそこにはあるんじゃないのか、とふと感じた。
私がおじいちゃんのお墓参りをしよう、と突然あの時に思ったのもこのエネルギー的な血のリレーを、再度、繋ぐため。しかもどことなくこのおじいちゃんが私に似ている気がしたからかも知れない。

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わたしは先祖から数えて9代目にあたる。
7代目であるおじいちゃんのエネルギーに触れることができなかったために、もしかしたら流れるべきものも流れなかったのかも知れない。
それは先祖代々引き継がれる血であり、エネルギーであり、サポートであり、今の時代に成し遂げるべきお役目でもある。

雪深い石狩の地。こんなに雪深いなんて知らなかった。
霊園には行けたものの、墓前まではたどりつけなかった。
それでもなんか喜んでくれていたように思う。
この上ない晴天と思ったほど寒くはない気候。
この「儀式」のためにおじいちゃんが用意してくれた最高のコンディションだったように感じる。春になったらまたリベンジして次は墓前にご挨拶しよう、そう心に決めた。

ハワイでは「繋がり」というものを大切にする。代々継承するもの。そこには目には見えないけど確かにある「想い、愛」。
それはフラの世界でも、ロミロミの世界でも、ハワイの文化伝統に息づくものには必ず「継承するもの」がある。

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ハワイは他の国々からの移民によって成り立ってきた島だ。
それにはもちろん理由がある。
1778年、ジェームス・クック(キャプテン・クック)が西洋人として初めてハワイに来島して以来、ハワイアンは激変を余儀なくされた。
特にカメハメハ大王が亡くなった後の急変ぶり、西洋人が持ち込んだ疫病の蔓延を免疫を持たないハワイアンには止めることができず、多くのハワイアンが命を、才能を、継承すべき大切な伝統文化を失っていった。
しかし水面下で細々と受け継いでくれていた勇敢で尊い人たちのおかげで、今もなお息づいている宝物(ハワイの文化財産)がある。

文化的なものだけではない。人と人との繋がりもしかり。
老若男女一緒になって楽しむ時間の中に継承すべきものがある。
お年寄りから若者へ、技能、才能を持つものから学ぶものたちへ。

繋ぐこと。それは人の役割のひとつ。

ハワイのカウアイ島を舞台にした2011年の映画『ファミリー・ツリー』も、「継承する、繋ぐ」というテーマがある。

ハワイの自然の美しさ。そして先祖から受け継いだ大切なものを受け継ぐことの大切さを教えてくれる映画なので、興味ある方はぜひ一度見てみて欲しい。

私たちの命、環境、文化、言葉、国……受け継がれて今ここにある。
より良くして次の世代へとバトンを渡す役割が、この世に生を受けた誰にだってあるはずだ。
生まれてきた人たちの共通の使命は、きっと「自分自身を生きること」だ。人それぞれに与えられた環境や役割を担っているが、いかに真の自分自身を生きていくか、これが人生の謎解きでもあり、魂のテーマなんだと思う。

おじいちゃんのお墓参りの帰り道、バスの中から日本海が見えた。冬の北海道の日本海。寒々しい景色だけど、きっと春はきれいなんだろうな、と想いを馳せた。
ハワイと比較するのはなんだけど、不思議なことにどこかハワイを感じる景色もバスの中から見られた。
なんだかホッとした。長い長い道のりを経て、やっとスタートラインに立った気分だったことを思い出す。

いったいわたしはどこへ向かうのか?
自分の道(運命)は自分で決めるというが、果たしてそうだろうか?
自分で決めているようでそう動くように動かされてるのではないだろうか?
そんなことさえ感じた。

世界は、地球は大きな変容の時期を迎えている。
未来がどんな時代になるかなんて誰にもわからない。
明るく平和に幸せな日常であることを祈る。
愛と調和の世界に変わっていくことを祈る。
地球的に、わたしの身の回り的に。
アロハスピリットを繋ぐものとして、命を繋ぐ使命を負うものとして。

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