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ハワイ島コナ。カメハメハ大王のエネルギーが感じられるパワースポット。

1810年、カウアイ島を手中に収めてハワイ諸島を統一したカメハメハ大王は、晩年、ハワイ島のコナで余生を過ごした。カイルアコナの町にあるカマカホヌ湾周辺は、古くから聖なる土地として数多くのアリイ(王族)が住んでいた。この一帯は乾いたコナの土地には珍しく、淡水の池が点在し、多くの魚が獲れ、また飲料水としても利用されていたようだ。
アフエナ・ヘイアウは、1812年から13年にかけて、それまで戦いの神クーカイリモクを祀っていたヘイアウから、平和と豊穣、富と豊かさの神ロノを祀るヘイアウとして再建された。
ヘイアウが再建されるとカメハメハ大王は1819年にこの世を去るまでここを舞台に活躍していた。カマカホヌはカメハメハ大王の敷地となり、ヘイアウの他、住居、いくつもの養魚池と庭があったそうである。

アフエナとは「火の丘」という意味だが、このヘイアウには3つの主要な建造物がある。
ティーリーフとシダで葺かれた一番大きな家が「ハレ・マナ」。ここでは王とカフナ(聖職者)の話し合いが行われたり、リホリホ王子(後のカメハメハ2世)の教育をしたり、祈りを捧げたりした場所だった。木の枝を組み合わせて作られたレレと呼ばれる祭壇には神々へのホオクプ(御供物)が捧げられていた。
ハラ(タコノキ)葺きの「ハレ・パフ」は、儀式の際に使う聖なる大きな太鼓アパホウが保管されていた場所だ。
白いタワーは「アヌウ」と呼び、カフナが神託を受ける塔。カフナの質問に対して神から答えをいただき、それを宣言した場所である。
石造りの基礎部分の周りには、多くの神を模した木の彫像「キイ・アクア」が飾られている。これらは先祖を神として祀るための象徴だった。
一番背の高いキイは「カラエモク」と呼ばれ、ヒーリングの神として祀られている。ムナグロという鳥の彫刻が頭の部分に施されていて、この鳥は大昔カヌーでハワイにやってきた古代ポリネシア人をハワイまで案内した聖なる鳥だという言い伝えがある。

また近くにある小さな小屋は「ハレ・ナナ・マヒナ・アイ」と呼ばれ、カメハメハ1世が庭を眺めながらひとりの時間を過ごす場所だったそうである。

1819年5月8日、カメハメハ大王はこの地で亡くなった。アフエナ・ヘイアウに隣接するハレ・ルアは、カメハメハ大王の遺体を埋葬する準備をした場所だ。しかし彼の遺体が埋められた場所は知られていない。彼のマナが強すぎるために秘密裏に埋葬され、その情報はどこにも明かされていないのだ。
カメハメハ大王の生年も定かではないし(1758年が有力説)、埋葬場所も不明、まさに「カメハメハ(Ka mehameha=孤高の人)」という名の通りの人生である。

彼がこの世を去ると、リホリホ王子(カメハメハ2世)が跡を継ぐが、実権を握ったのはカメハメハ大王のお妃のひとり(第2夫人)、リホリホ王子の摂政となったカアフマヌである。

彼女はこの場所で、カメハメハ大王の正妻だったケオプオラニを伴って、リホリホ王子と一緒に食事をした。男性と女性が食事を共にしてはいけないというカプ(タブー)をみずから破ったこの会食は「アイ・ノア(自由な食事)」と呼ばれ、これまでのハワイの社会構造、法律を根本からひっくり返す “大事件” となり、これがきっかけでカプは解禁され、またカアフマヌがキリスト教に改宗したことで、ハワイは新しい時代へと突入したのである。

現在のアフエナ・ヘイアウとその周辺の史跡は、隣接するキング・カメハメハズ・コナ・ビーチ・ホテルとホノルルにあるポリネシアの歴史が学べる博物館ビショップ・ミュージアムの支援を受け、1975年にもともとの規模の3分の1で再建されたものである。

ホテルのロビーには、博物館さながらにハワイの歴史を知る展示品が多数飾られ、アフエナ・ヘイアウを含むカマカホヌ湾一帯の歴史と聖なるエネルギーをバックアップしている。

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