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体験は財産。どんな体験でも尊重して。あなたらしさを作る大事な価値です。

最近、ハワイのことについて尋ねられることが多くなってきている。
おそらくコロナが収束して、実際にハワイに行く人が増えている、あるいはハワイに行く計画をしている人がいるからだと思う。
先日もハワイに初めて行くという人が私にハワイのとある聖地のことを尋ねに来た。
その人はちょっと感性豊かというか、幼少の頃に覚醒体験をしたという人で言葉よりも言語外のことを感じ取る能力に長けている人で、もっと言えば、目の前にいる人のスピリットと話ができてしまうような、一般人の私からすると不思議な能力(感性)を持っている人だった。

尋ねられた聖地は、私は何度となく訪れた場所なので、想い出せばすぐにそこの景色や空気感、その空気の匂いなど簡単に感じることができるし、話をしているうちにその土地にまるで今いるかのようなトリップ感さえ私には感じられる。
そんな私の感覚を感じ取ったのか、言葉よりもその空気感を感じることができたことにとても感謝された。そしてその対価として少なからぬ代金を、当然のように、支払ってくれたのだ。

体験はその人の価値だということは、私自身、セッション等で言葉で伝える場面などはたくさんあったので伝えてきたつもりだったが、その言葉の本質はまだまだ腑に落とせていなかったなと、この体験を通じて感じたのだ。
あなたがこれまで真面目に取り組んできた(あるいは取り組まされてきた)体験はあなた自身の大きな価値になるし、自己受容や自己肯定がしっかりしていれば、それを相手に与える価値として対価も受け取ることができる貴重な財産なのだ。
知識やスキルを上手に伝えて対価を受け取ることは多くの人が普通にやっている。しかしこれからもっと高い価値になってくるのは、感じた体験、心を動かしてくれたようなリアルな体験なのではないかと思うのだ。

あなたの体験は誰かに共有する場合、もちろん好意で身近な人たちにシェアすることもあると思うが、本来は少なからず努力して勝ち取った貴重なものなのだ。それ相当の対価が発生してもいいと感じる。

ふとピカソが30秒で描いた絵の価値の話を思い出したのでシェアしたい。

ある日、ピカソがレストランで食事をしていると、見知らぬ女性がこう話しかけてきました。

「あなたの大ファンなんです。この紙にひとつ絵を描いてくれませんか?」

ピカソはその紙にサラッと絵を描きました。その時間はわずか30秒ほど。
簡単な絵でしたが、ピカソ独特の味がある絵になりました。
そして、ピカソはその絵を女性に手渡してこう伝えました。

「この絵は100万ドルです」

女性は、びっくりしてこう言いました。

「たった30秒で書いた絵がその値段というのはおかしくありません!?」

ピカソは首を振りながらこう言います。
「いえ。30年と30秒です」

この逸話をどう感じるかはその人次第だが、私たちは時としてこの女性と同じようなことを人に対してしてしまう。
ちょっとした知り合いについその人の経験を何気なく無意識に対価もなしにシェアもらうことを依頼(もしくは強要)してしまうということだ。
私のハワイであらゆる聖地を歩き回って取材して、島ごとにパワースポットを本にしたという体験から、普通の旅行者よりも、あるいは現地に住んでいる人よりも、ハワイの聖地や歴史や文化については詳しいと思っている。
それを知っている人が何気なく、それとなく、私にハワイの体験や聖地やパワースポットの専門知識や体験などを求めてくる。
今まではお人好しなのかどうかはわからないが、簡単にシェアしていた。
しかし正直なところ、私の内側で何かがモヤモヤしていたのは否めない。
それでも私は自分の価値を十分に認めていなかったためなのか、自分自身を受け容れていなかったためなのか、そのモヤモヤした気持ちになる根源に対してどうすることもできずにいたのだ。
そして先日の出来事。話をシェアした(あるいは波動をシェアした)ことで対価を支払っていただいた。そのことが私にとって私自身の価値を改めるきっかけとなったことは確かである。

話を少し逸れるが、現地に住んでいる人が知っている気がしてしまうが、住んでいる人ほど生活圏からあまり外に出ようとはしないので、実際はそれほど詳しくはないのが事実だ。あなたがあなたの街の隅々の情報まで詳しいかどうか、自分自身のことを振り返ってみればそれはよくわかるはずだ。
個人的には、住民<旅行者<その土地の観光ガイド<専門的研究者、という具合な感じがする。旅行者のほうが住民よりも詳しいことは多いと感じる。

話を戻そう。
あなたの体験はあなたの価値だ。その上、努力して得た知識はリアルな体験を積み重なることでいつしか知恵に変わるし、それは当然、対価を生み出すものだということ。
あなたの好意でそれをシェアするのは問題ないが、人から要求された場合には、対価が発生してもおかしくはない。
そんなものに価値があるものか、と自分自身をバカにしてはいけない。
どんな体験であれ、あなたが心を揺さぶられてきた体験は、まぎれもなくあなた自身の財産だし、それ相当の価値があるのだ。
好意としてシェアしてもいいし、対価をいただいてもいいものだと思う。

今の時代、なんだってグーグル先生に尋ねれば答えはやってくる(真偽のほどはさまざまだが……)。調べて出てくる情報よりも、リアルに何を体験して感じてきたのか。それにこそ価値がある。
あなたはあなたを生きればいい。胸を張って堂々と。人と比べる必要なんてどこにもない。あなたはあなた。他人は他人。すべて体験は違うのだ。
そしてあなたが体験したことに対価をつけたければ堂々とそうするべきだ。
それがあなた自身あなたを評価することになるし、受け容れることにもなるからだ。

自己受容、自己価値は自分で上げていくしかない。自己犠牲は自分のためにも人のためにもならない。それがどんなものであれ、体験すればするほど、あなたの価値は上がっていくし、自信にも繋がっていくものだ。
体験は財産。どんな体験でも尊重して欲しい。あなたらしさを作る大事な価値だから。

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